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 秋田の観光(たから)

絵灯篭 1

なんて美しいんだろう!  幻想的で風情があってここに日本の心が宿っていると言って過言でないでしょう!!

これは、雪国秋田県湯沢市にある伝統的な祭り、夏の風物詩としてこれ以上の夏の夜(まつり)はないのではないだろうか!?
実は、浅草で活躍する日本舞踊の家元波島陽子の故郷がまさにこの地秋田県湯沢市なんです。
この写真で何かにお気づきですか!?
そうなんです。 殆ど高い建物(ビル)の無いまさに日本の原風景にも似た素晴らしい町の夜は真っ暗。
私はこの時期にお邪魔したことないので分かりませんが、湯沢市が誇る七夕まつりの別名「絵灯篭まつり」は圧巻ですね。

今回のお話はそこなんです。
全国の地域振興事業に関わるある理事長、そして波島と私で食事をしたことがキッカケでした。
「私の故郷はね・・・・」と熱く語り出した中にこの絵灯篭の話が出たのです。
灯篭に絵が描かれている程度で聞いていたのですが、スマホでみると確かに「ふーん」と多少の感動(失礼)
ところが波島の話は終わりません。 まるで湯沢市の観光大使以上の熱弁でした!

それを聞いた理事長は2日後に即決。
「とにかく行ってみましょう!!!」 こんなことってあるんですね。
たまたま波島に知人が居たのでアポを取って出向いたという訳です。


絵灯篭 2


展示会場で見た絵灯篭の美しさはそれは見事でした。
こんな素晴らしい行事(まつり)がどうしてこのネット社会に浸透していないんだろう・・・・とさえ思いましたね。
これこそが日本の文化です。 私のよく言う日本の心でしょう。

今年は8月の5日・6日・7日がこの素晴らしい「絵灯篭まつり」だそうです。


地域活性化について伺ったので市役所の関係者・町の観光に関係する有志のみなさんともお話をさせて頂きました。
まるで私が湯沢市の回し者のようでしたがそうではなく、波島陽子の代わりに何かお役に立てれば・・・・と。

今回を段どってくださった湯沢の「湯の華芸妓」の代表阿部一人さんの情熱はまさに波島と同じ。
こういう人が居ないと町の活性化はなかなか難しいんですね。 私も地域振興の仕事を30年もやってきた経験上、この難しさは本当によく分ります。
決して私は阿部さんと特別な関係ではありません。 しかし、波島同様こういう人がいないとこの事業は本当に難しいんですね。
阿部さんはこう話されていました。「市役所に勤めていながら退職してまで・・・・」と周りの目、周りの口はかなり厳しかったようですがとてもよく分ります。
こうした人こそ町の発展を心から願って具体的に頑張っているんではないでしょうか!? 彼は自分が商売になれば良いなどと決してケチな了見などではありません。
町にはあの「稲庭うどん」がある。そしてあの素晴らしい「漆器」がある。全国の酒飲みが「秋田の酒は美味い」と言いますが、その酒は湯沢が醸造元です。  ご存知ない人がいるかも知れませんが「小野小町」は湯沢の出身です。
素晴らしい温泉がありその自然の美しさはとても口でなど表現できるものではありません。

私もこの地の温泉に入ったことがありますがこの温泉大好き人間が宣伝したいくらいですから確かです。
お米や山菜、この自然に育まれた人情豊かな秋田県民。 
どこのお店でも宿舎でも温かい人情に触れることが出来ます。


芸妓

伺った夜、なんと百年料亭のお座敷での夕食でした。
その席に来てくれたのが売れっ子芸妓佳乃華さんと佳つ那さんです(写真は多少違うかも)。 
お二人は本当に味のある素敵な舞いを見せてくれました。

私は日本舞踊教室を主宰していますが、この私が「素晴らしい」・・・・というんだから凄いの一言です。
4年少々でよくここまで創り上げたものだと感服しましたね。
ここに阿部さんの心意気があるんでしょうね。 湯沢市の宝です。いえ、秋田の宝です。

浅草にも当然芸妓さんはいますが湯沢の湯の華芸妓とは何かが違いましたね。 お酒を頂きながら三味や太鼓、笛の音に合わせてその美しい舞いを見ながらとても不思議な気持ちで居たことを今でも覚えています。
そうなんです。言葉で表現できない優しい人情がそこにあって謙虚でいてそれで楽しさを満喫させてくれる。
「阿部さんの想いはここまで来ているのか・・・・」を実感。  秋田美人どころかここを知らない人は損をする。そう言い切れるお座敷でした。
様々な秋田の観光を終え、ここでこのお座敷を満喫し温泉に浸ってみない手はないでしょう。
私も企画制作の仕事を30年ちかくやって来てお座敷や宴会場の楽しみ方は十分知っているつもりです。
ある温泉地に行ったら全てフイリピンの女性でした。 ご存知のように芸も無いのにお酒のお相手と称して全国には多くのコンパニオンがいます。コンパニオンが悪いと言っているのではありません。 お座敷はやはり芸舞妓でしょう。
風情を、日本を、故郷を楽しむって違いますね。 ここが阿部さんの理念の素晴らしさです。
これを湯沢市は放っておくなどもっての他です。 宝の持ち腐れとはこのことです。

地域振興は自分が自分がでは成り立ちません。

波島陽子が浅草で頑張っているのも全く同じことなんですね。
お一人でも多くの若者に日本の伝統や文化を着物、つまり日本舞踊を通してそうした若者に継承したいとする信念が多くの若者に支持され今日に至っているんです。

そう思うと、阿部さんにしろ、波島にしろ「湯沢の人間は凄い」と言わざるをえません。

令和に入って最初に訪れた湯沢の旅は本当に素晴らしいものでした。
令和は日本舞踊が似合うと綴ったことがありました。阿部さんの想いが大きく花開くようお一人でもそのご理解をもって応援し続けてください。

阿部一人さん主宰の湯の華芸妓連が来年5周年を迎えるそうです。湯沢出身の波島陽子が35年ぶりに故郷湯沢の舞台に阿部芸妓連と一緒に立てたらこんな素晴らしいことはありませんね。


皆さんも是非ゆっくり秋田(湯沢市)を訪れてみてください。
まず温かな人情に心癒されます。  湯沢はそういうところでした。






 日本舞踊と着付け

着付師2

私が日本舞踊に関わってなんと14年目に入りましたが、実に奥の深い世界です。

子供の頃から母親が芸者さんのスケジュール管理をしていた頃を思い出しますが、元来母は洋裁和裁等手芸関係には非常に長けた人でその腕は今思えば一流だったようです。
町の芸者衆から着物を仕立てて欲しい等の依頼でそれが判りましたね。 ご存知の方も多いでしょうが、芸者さんが仕立てを頼むって相当うるさく厳しいお客なのです。
そんな関係で母は三味線や琴を習ったり日本舞踊に触れたり等の環境で育った私に影響が無いわけありませんね。
いつだったかか父親が親戚に頼まれて東映映画封切館の支配人をしていたお話をしたかと思います。そうした関係もあって東映時代劇は全て観たといって良いでしょう。 出演者全員が日本舞踊を踊れるというほどの銀幕でした。
なんなんでしょうねこの環境は(笑)

極めつけは親戚が塩沢お召しの機屋と来たら完璧でしょう!!

従って私が現在日本舞踊に関わっているということは何の不思議もない訳です。
従って、達人のすぐそばで育ったようなものですから目は肥え知識は豊富になりました。

今日お話ししたかったのは身近にいる達人(着付師)についてです。
お世辞抜きで日本最高峰と言って過言ではない人のお話です。

波島はご存知のように秋田から上京したのはお芝居がやりたかったからです。 飛び込んだのが淺香光代師の事務所でした。
一世を風靡した女剣劇の第一人者ですね。 今と違ってその修行は想像を絶する厳しいものだったでしょう。
自分(なみしま)が飛び込んだ道、そこに居たから出来た全国の大劇場への出演。 それも淺香事務所の芸養女(当時)だったお陰で公演パンフレットには師匠の次に写真が掲載されるという幸運さ。当然先生が男役でしたから波島はその相手役だった訳です。
お芝居の無いときは事務所で日本舞踊の稽古。 淺香流のお弟子さんは全国にたくさんいましたね。
今だから話せますがと「花柳流」「西川流」の先生にも日本舞踊を習い、ついには淺香流のお弟子さんに代稽古ができるまでになった訳です。

先生は役者さんでしたから、衣装の数は半端じゃなかったようです。 小道具しかり。 それらの扱い管理等全て自分がやらなければならない環境は今思えばなんと贅沢な弟子であったことか。
舞台関係について全て学ばないといけない環境がそこにあったんですね。

今、花柳・西川と言いましたが常に最高の美しさを求める波島にとって必要不可欠だったんですね。
そんな時代に出合ったのが現在お世話になっている着付けの先生です。



着付師1

淺香事務所に入った当時から可愛がってくれた着付師がその人です。

波島が今日あるのはその先生(着付師)のお陰と言って過言ではありません。
その着付けの先生が「田島貴代子」先生です(写真)

とにかくその着付けの腕舞は舌を巻くと言ったら分かりやすいでしょうか!?
現在も映画・テレビ・舞台は勿論CM等々で引っ張りだこです。

前述のように、私もこの世界についてはどちらかと言えばうるさい方です。その私がみて素晴らしいと断言している訳です。
仕事の関係で若い着付けスタッフも多く知っています。  現代風とか言う人もいますが、その仕上がりは別物です。
まだまだ若者は足元にも及びませんね。

時々公演に出かけると他のチームや主催者がお着物を着るからとこちらにも着せて欲しいと言われることがあります。
着付け代がどのくらいか知っているんだろうか・・・と思います!!

田島氏のどこかに、「陽子ちゃんを育てたい」・・・・という思いがずっとずっとあったんでしょうね。
波島陽子にとってこれほど幸せなことはありません。

掲載の写真は日本舞踊振付作品の収録当日のひとコマですが、それはそれはどの作品にもドラマ性が十分採り入れられた着付けでまずもって見事です。

私は昔、名匠というくくりである企画を興したことがありました。
日本の素晴らしい文化・伝統はそうした名匠に追いつけ追い越せで成り立っていた筈ですが、哀しいかな本当にそうした人物は少なくなりました。
京都の西陣織の職人(後継者)が居なくなっているとドキュメント映像を観たことがあります。

波島陽子が本物を追及できる環境もそうした諸先輩諸先生が居たからなんですね。

波島社中がちょっとした舞台でも全て田島さんが同行して下さいます。
お弟子さんたちにとってはそれが当たり前のようになっていますが、とんでもないことです。
素晴らしい着付師の先生がいるんだから本気で学んで欲しいと思いますね。

ちょっとした舞台なのに「最高のものを求めて」演じさせてあげたいと思う師匠の心根を分かってくれたらきっとお弟子さんも更に成長するんでしょう。

  涙の令和に

スタート

いよいよ令和が幕を開けました。

平成が幕を閉じる1分前から改めて昭和と平成に多くの罪を詫びました。
人間が人間である以上、心とは裏腹にどれだけ多くの人に迷惑をかけて来たかしれません。
一生懸命生きてきたつもりでも、それはどれだけ多くのご加護を頂いて来たからかがこの年齢になるととてもよく分るのです。

目をつむり、手を合わせ、そうした昭和や平成に感謝しながら新しい令和(じだい)のカウントダウンに入りました。
そして、令和の時代は涙とともに過ごしていこう・・・と決心できました。
改めて涙の素晴らしさを知ったように綴っていますが、つい最近平成の天皇皇后両陛下が伊勢路をお車で通ったときでした。
どこからともなく飛び交う言葉は「陛下、ありがとう」でした。
そして多くの人々の頬に涙が伝わっていたのです。  言葉の要らない涙でしたね!

考えてみたら涙には本当に沢山の涙があります。
「嬉し涙」「感激の涙」「悲しい涙」もありました。 勿論悔し涙もありましたね。 「辛いときの涙」は愛する家族や大切な人を失くしたときの涙でした。
不思議なことに、きっと人を恨んだり、怒ったりしているときには涙はこぼれませんね。

国民のために、国民の幸せを祈り続けてくださった前両陛下のお気持ちはやはりその殆ど(こくみん)に伝わっていたということです。

私たちも、いろんな人に接しお世話になりご迷惑をかけて生きています。
人の優しさに触れ頬を伝う涙は宝です。  一緒に頑張って成果を出せた時の達成感はやった者しか味わえない最高の涙に変わりましたね。
涙はその人の優しい心の表れ。  涙のこぼれない生き方はやはり冷酷で残酷なことばかりです。
平和であるからこそ流れ出る涙。 もう一度「涙」について考え直していたらいつの間にか令和を迎えていました。

前述のように、冷酷さや人を憎んだり恨んでいる状態の中では涙はこぼれないという事実。
渋谷でカウントダウンを迎えた若者たち。 皇居で同じくカウントダウンを迎えた若者たち。
立ち去った後にゴミだらけだったのは残念ながら渋谷でした。  皇居に集まった若者は男性で言えばその殆どがネクタイ姿でした。
日本でさえこんなに違うのに、世界を見渡せば想像もつかない人それぞれの考えなんだろうな・・・と思えてなりません。
しかし、涙の種類はきっと世界共通なんじゃないかと思います。

平和であればあるほどその涙に触れて欲しいと思う。 勿論「嬉し涙」にです。

平成の終わりにお稽古場に行って千羽鶴を折りました。
神聖なるお稽古場に舞い降りた鶴のようで我ながら感動でした。 平成の途中で開校したお稽古場に当時は胸膨らませていましたが、半年もしない内にあの[東日本大震災」がありました。
今考えても想像を絶する大惨事だったことは申すまでもありません。

現地はもとより日本中が、いや世界中の涙が注がれました。 悲しくもみんな優しさの表れだったんだと思います。
ほんとうは、出来ることならそんな涙には遭いたくありませんね。

平和の中にも「涙」が必要だってことを知れば人は優しくなれますね。
嬉し涙に触れながら令和を歩いて行きたい。 これが新時代の私の願いです。

生徒さんの幸せ、生徒さんの達成感の喜びに交ぜてもらいながら過ごせたらどんなに幸せだろう・・・・。
令和は梅を楽しみながら歌われた中から誕生した元号。 楽しくやりなさい・・・と言うことですよきっと。

この令和が、嬉し涙でいっぱいの時代であることを願って新たにスタートしたいですね。



 美しい日本こそ令和

平成2

令和が待ちきれないように芽を出したふきのとう。
今年も故郷からたくさんのふきのとうが贈られて来ました。

それでも日本は戦争の無かった平成といいますが、昭和生まれでも私は戦争を知りません。 しかし、あの忌まわしい戦争は昭和にあったんですね。
平成とともにベルリンの壁が崩壊され平和へ歩みだした国もありました。

戦争は無くとも、事件や自然災害は異常なほど国民を苦しめた平成であったようにも思います。
考えてみたら30年なんて本当にあっという間に過ぎたということです。

戦争は良くありませんが、私の中の「昭和」はとても温かかった気がします。 良い時代に良い経験を積んだのも昭和でした。
自然豊かな雪国育ちでしたが、春夏秋冬をこれほど心に留め置くことが出来たのも自然いっぱいの環境下で生まれ育ったからでしょうね。
その自然に負けないのも人の心であったように思います。

中学の頃から写真を撮るのが好きで、押し入れに暗室まで作り現像したり等白黒でいっぱい楽しみました。
今では誰もがなんでもかんでもスマホでパチリ。
しかし、そこにはあまり心というものが映っていないように思いました。
今から15年ほど前でしょうか!? 皇居周辺をジョギングする陛下を携帯で撮影する光景がニュースで流れたことがありました。
陛下に携帯を向ける!!!!  私も古い人間になったんでしょうかね。
その辺を常識と捉えていましたが、そんなことを言ったら最近の光景はどう表現したら良いのでしょうね。

雪が解けて顔を出したふきのとうに感動する・・・・。
そこには多くのドラマが見え隠れしているようでその感動は言葉にならないほどでしたけどね。



平成3


まもなく平成が終る。  平成最後の桜だ・・・・!
そう思うと居ても立っても居られない気持ちでこの春は何度も何度も隅田川に行きました。
昨年の5月終盤からヘルニアで全く歩けなくなってあの暑い夏を苦しみました。 人一倍散歩が好きな男が歩けない(涙)
経験しないとわかりませんが、あの辛さと激痛は大きく自分を変えました。

カメラ担いでこの春隅田川に行ったとき、しがみつくように桜が一輪しっかり花開かせていました。
写真でも分かるようにその一輪の美しさは半端ではありません。

長い人生の中で、いろんなところでの桜を観てきました。  不思議な美しさですね。
私を招んでくれるさくらの花びらに語り掛けてはシャッターを切る。
自然の美しさに心奪われている瞬間はまるで童心にかえったように素直です。
この桜の木を見ると、いつ植えられたんだろうね・・・・・! この桜をどれだけの人たちが観てきたんだろうね・・・!
そう思うと感慨無量です。
どんなに時代が変わっても同じように春が来れば多くの人を楽しませてくれる。

このときだけは何故か人々はみな笑顔です。
この写真の花びらにお二人の陛下を重ね合わせることが出来ました。

全ての公式行事を終えていよいよ令和の登場。
子供の頃に正月を迎えるような興奮を今抱けているのは何故なんでしょうか!?
令和がどんな時代になるかはわかりませんが、「陛下ありがとう・・・・」と言ったあの気持ちを忘れずに1日1日を大切にしたいと思う自分がここに居ます。



平成4

あまりにも悲しいことが多すぎた平成という時代。
定職に就かず、不安定な生活を自らしょい込んでいる若者たち。
聞けば若者でも様々な詐欺被害に遭い苦しんでいる人がとんでもなく多いと聞きます。
せめて私の周りの若者だけにはそうした被害に遭わないようにと祈るのみですが、どうしても儲け話には乗ってしまうらしいですね。
簡単に儲けられる話など「絶対」と言って良いくらいありません。
でも、その被害に遭って苦しんでいるのですが、救いようがないほどの大金の返済に苦しみ悶えているんですね。
これが平成の時代という姿でもありました。

日本には、四季の美しさに負けない「心の美しさ」があります。
私のところにいろんな話(事業)が舞い込んで来ますが、基本商売で儲けようとしたら長続きしないことを悟ります。
つまり、金儲けに心が奪われ本当に大切な何かを失ってしまうということです。
何かがヒットすれば我も我もと真似をする。  多くの危険が含まれていることを当人は知りません。

私は昨年、一大決心をしました。
ヘルニアで歩けなくなり手術をしたときです。  手術は成功し痛みは消えたものの4ケ月近く歩かなかった(歩けなかった)後遺症は半端ではありませんでした。
そこで決心をしたのが、「運転免許証」の返納です。
まだこの年齢で・・・・と多くの仲間に驚かれました。 しかし、返納したことで、百に一ついや千にひとつ、私から事故を起こすことは無いということです。 

人それぞれ生き方があり、どれが正しいかはおそらく全て結果論でしょう。
心の持ち方で私は安心を得ました。  素敵な季節を収める(カメラ)のも電車だと本当に楽です。
穏やかな気持ちで被写体を観るとまた違った美しさに出会えます。

日本舞踊もそうですが、心で踊れるようになったらしめたものです。
大きく変化する時代についていけない・・・・などと心配することは何一つありません。
どんなに便利なものを手にしても、それを心で使えないとしたらなんの値打ちも無いと思って良いでしょう。

桜のシーズンに、会社の観桜会で新人に席取りを頼むのはパワハラだとかなんだかんだで上司が若い社員に気をつかっている等のニュースを本当に多く目にします。
確かに、会場の席取りを新人がやらなければいけない道理もすじもありません。 しかし、新人も「私がやります・・・」といった光景があってなんの問題もありません。
自主性や少しでも1日でも早く仕事に職場に慣れたいと思えばやることは山ほどあります。

相手を思いやる大切さは、なにも先輩や上司が新人にではありません。
それに気づけない若者(しんじん)は決して包容力のある先輩にはなれません。
楽しむことに上も下もありません。  誰彼問わず「感謝」の心や「思いやる優しさ」があればなんの問題もないのです。

どんなに時代が変わっても、春になればふきのとうが芽を出し桜が人々の心を開いてくれます。


平成5

「令和」と命名した経緯にもっとも日本らしい「万葉集」からとありました。
庭で梅に興ずる様はみなさんどう捉えているのでしょうか!?

自然の美しさはこうして写真にも収められます。

ペンで文字をなぞらなければ「漢字」も忘れてしまいます。

「おはようございます」を「オッハー」で良い訳がありません。
何か言えば若者が反発する・・・とか、「古いね~・・・・」とからしいけど大間違いです。

今はそれを流れとして(流行)なにか勘違いしたおしゃれ感覚でいるのでしょうが、このままだと令和が終るころは日本が失くなっているように思います。
知っての通り、日本の大切な建造物を中国人が買いあさっている現実を知っていますか!?
金の為に日本を売っているようなものです。
中国の人が悪いなどと言っていません。 しかし、日本人と中国人では心の持ち方が違うことをしっかり承知しておくべきです。

確かに、平成という時代は日本は戦争に巻き込まれることはありませんでした。
しかし、世の中「企業戦争」にみるように「心の戦争」に巻き込まれている若者のなんと多いこと。

日本がおかしくなってからでは遅いと思いませんか!?
少しずつ蝕まれていっていることを知らなすぎますね。


平成1

先日、平成最後の満月を観ました。
心にしっかり留め置いておこうと思いましたが、まるで感傷に浸るように平成最後平成最後に見方も変わっていたようです。

平成最後より、新しい令和(じだい)を語らないといけませんね。

いつも言うように、便利に流されないようにしないと間違いなく日本がダメになってしまいますよ。

丁度平成の中間くらいに日本舞踊教室の在り方を考えていました。
しっかり地に足を着け、日本舞踊にふさわしい教室にと今まで頑張って来ました。

まだまだやることだらけですが、これからの令和の時代こそ心乱さず日本人に最もふさわしい教室の運営にさらに力を注ぎたいと思っています。
これまでに出会ったこともない、日本人として誇りに思える素晴らしい日本舞踊の指導者「波島陽子」を支えながら後世に語れる教室の確立を目指したいと思っております。

幸せなことに、不思議なことに、みなさん若いのに素晴らしい若者に囲まれているこの現実。 それだけに日本舞踊を通してしっかり日本の伝統・文化を継承しつづける必要を強く感じています。
一人でも多くの若者が喜んでくれたら本望です。

平成よありがとう。 思い出は尽きませんが振り返っている暇はありません。
自然の美しさに負けない「日本人の心」を花咲かせ続けたいと思いながら令和を迎えたいと思っています。







  陛下、ありがとう

両陛下

   天皇皇后両陛下 ありがとう

まるでこだまするように多くの声が投げかけられましたね。

「陛下~  ありがと~う」  「美智子様~・・・ ありがとう」
ビルの見えない伊勢神宮周辺は穏やかな春の陽ざしにも祝福されていたようにも思います。

泣いている人も大勢いました。でも、「ありがと~う・・・・」が一番多かった気がします。

若い人は知らないでしょうが、皇太子が天皇となり89年の「即位礼正殿の儀」でのおことばも本当に印象は薄かったような気がします。 90年の「即位礼正殿の儀」では確か万歳が三唱されたと思いますが、周りは白けたムードだったようにも思います。

昭和天皇の崩御ということもあったのでしょうか。 それとも、「アジア侵略の記憶が強い国が万歳をするとは何事かととがめる声もあったんでしょうね。
陛下はそこから少しずつ信頼を積み上げ、今ではどこでもあたたかな歓迎を受けられています。

「即位してからの30年間はかっての軍の統師者として神格化されていた天皇としての匂いを消すため、一生懸命だったとおもいます」と朝日新聞のコラムにも載っていました。

目に焼き付いて離れない被災地での両陛下のお姿。  本当に感動しましたね。
ひざをついて話すお姿。 皇后さまはバスの中から頑張って・・・とこぶしを握り被災者のみなさんを励まされたお姿。
政治や経済の先行きが不透明な中、皇室は変わることなく国民と共に存在していたように思います。

何よりも初めて民間から皇室に入られ妃殿下となられた美智子様の存在がどれだけ大きかったか知れませんね。
まだ陛下になられる前に私は妃殿下を新宿の伊勢丹でその美しいお姿を拝見したことがありました。

考えて見たら本当に日本列島が大変な時代にご苦労されたんだなとつくづく思います。

優しいまなざしとは妃殿下のようなことをいうんでしょうね。

昭和に生まれ、平成を駆け抜けたお二人。 ゆっくりと令和を見守っていてください。

旗を振り、「陛下~」・・・・と叫ぶ国民。
まさかこんな素晴らしい光景を見ようとは思いませんでした。

月並みですが、本当にゆっくりなさってください。 素晴らしい30年間でした。
ギスギスした世の中に、日本らしい空気を諸外国にまでその多くを与えたように思います。

とっても残念ですが、考えの浅いつまらない大臣の多い中、国民をずっとずっと見守って下さったのは本当に両陛下のように思います。  寄り添うことの大切さ。 ただただありがとうございました。

まもなく訪れる「令和」がどうぞ平穏無事でありますように。

そして、いつまでもいつまでもお元気で。  

ありがとうございました。











プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

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