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 2018年もまもなく幕がおりますね

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平成30年もまもなく幕を降ろします。

今年1年でなく、平成を振り返っているのが実際の今の気持ちです。
企画制作会社を営んでいた私は昭和天皇の崩御でイベントの予定がことごとく無くなったのが私の平成のスタートでしたね。

それでもめげずに妖精の里建設にイギリスに行ったり、中山晋平生誕100年記念行事に関わったり等々前向きに前向きに活動を続けていました。

しかし、平成は多くの出来事や事件事故(災害)があまりにも多かったように思いますね。

平成7年の阪神淡路大震災やあの惨い地下鉄サリン事件!! 日本の安全神話まで吹っ飛ぶような事件や災害。
中越地震に驚いていたらとんでもない。 あの東日本大震災は記憶に新しい恐ろしい出来事でした。
そして熊本地震。  今年は私が3ケ月も歩けなくなるという(ヘルニア)とんでもない出来事も。 その間、広島・岡山・北海道と日本列島は不安と恐怖におびえる昨今でした。

美空ひばり・松下幸之助・手塚治虫・島倉千代子・高倉健等々昭和を代表する人たちとの悲しい別れも平成でした。

安全神話と言えば「山一証券経営破綻」も平成でしたね。

平成で、一番大きな出来事と言えば携帯電話の普及で本当にあっという間でした。 同時にネット回線があらゆる通信機関を変えて小さなお子さんに至るまでネットに触れる時代になってしまいました。

今の若者の全てが平成生まれ!!  
どう対処したら良いのか頭を抱え苦慮する経営者(上司)や先生や親たち。
忘れられないのが平成と同時頃に出て来た「セクハラ問題」

しかし、どうでしょう・・・・、そんな平成も暗く悪い話ばかりではありませんでしたね。 それがスポーツや「芸能」での出来事だったと思います。  イナバウアーが金メダル、Jリーグの開幕も確か平成5年頃だったと思います。
松坂投手が甲子園でノーヒットノーランを達成したり、ハンカチ王子が登場したり、現在の卓球やバドミントン等の日本選手の大活躍。  日本が元気になる源と言っても過言ではない活躍に日本中が湧き多くの被災地も頑張っています。

今回の元号が変わる今までとの大きな違いは現天皇がお元気な中で退位され新しい天皇の誕生となる今までにない嬉しく、喜ばしい新しい時代の幕開けです。
平成に礼宮様や皇太子様のご結婚というおめでたい儀式がありまるで記念のように東京スカイツリーが竣工したのも平成(H24)でしたね。

最近、いつも言っているように、平成で飛躍的な変化をもたらした通信機器。  あまりの便利さにこれらを利用した今までとは違う新手の犯罪も多くなりました。
権利と主張の中で国の借金がなんと1000兆円を超えたのも今から5年前。  怖い世の中の実感のない国民。

そんな中、日本舞踊を更に広く普及させたいと頑張った平成。  
良き時代を舞に収めて歩く波島陽子も芸能生活33年目に突入しました。

どんなに時代が変わっても、日本人として誇りの持てる生き方をこれからもしていきたいと心に誓い今年を締めくくりたいと思っています。
今年も本当に多くの人に出会うことが出来ました。  そしてとってもお世話になりました。
感謝しかない平成30年間。   その心で歩けて来れて幸せでした。

お世話になった多くの皆さん、本当にありがとうございました。

みなさんもどうぞ良いお年をお迎えください。       (感謝)











 覚悟を持ち続けた年月

創立10-1

平成30年、今年の舞台の締めくくりは創立当初からお付き合いさせて頂いている日本文化体験交流塾様の創立10周年記念式典の舞台でした。  年の瀬に暫らくぶりにスタート当初を思い出しました。
私どもの方が1年半ほど早かったのですが本当にいろいろありましたね。  私どもは当初「日本舞踊教室」を開校するなど夢にも思っていませんでした。

最初は日本中の日本舞踊(新舞踊)愛好者のみなさんに「振付作品(ビデオ)」を制作しお届けすることでした。
知らないって強いな・・・・と感じたのは、最初業者に委託してビデを制作したのですがなんと1作品100万円もかかりました!!!!!
しかも、それが売れない(涙)
全国の公民館や劇場等々様々な施設に作ったチラシ3種類入れて郵送。
この切手代金はただ郵便局を設けさせただけでしたね(笑)
もっとショックだったのは注文(反応)が一件も無かったことです。  これは辛かったですね。
私はそれからホームページを立ち上げるため毎日パソコン教室へ通いました。

昔、ずっと昔、私は制作会社を興し毎日が営業営業の連続だったことがありました。 地域振興事業や商店街、小売店の売り出し等々様々なイベント(企画)を仕掛けました。
ところが、そうそう営業で注文が頂ける訳ではありません。 来る日も来る日も手ぶらで帰る毎日。
そこで実践したのが、注文が取れなきゃ食うな・・・・・ということです。
多くの県・市町村を訪れました。  空振りで帰る道中の晩飯は決まってソーセージとオロナミン。
結構この取り合わせは美味いんですよ。  ハンドル片手に左りはオロナミン、右手にソーセージ。
「ちゃんと食べたきゃ売ってこい。」  そう自分に言い聞かせてね。  会社のスタッフは事務と制作が1名ずつで私と合わせて3人ですが、その2人の生活をみなければいけない・・・・。  そこで覚えたのが「販売(営業)は断られたときがスタート」ということでした。

勿論、結果的に新築の家を建て、大卒25名を雇うまでになりました。
仕事も嘘のように大手から注文が届き、性格が一生懸命ですからどんどん成績が上がって行きました。

だから、今回の会社の10周年はとってもよく理解できます。
2度目の会社創設(ポラリス)の初めがその振付ビデオだったんです。  数えるほどしか売れない作品をよそになぜか日本舞踊を習いたい・・・・という若者が訪ねてくるようになり、軌道修正し「日本舞踊(新舞踊)」も教えようとスタートしたと言う」訳です。

2年目に入る頃でした。 大手の旅行会社や今回の会社から体験の企画が舞い込んで来たのは!!
お稽古も4ケ所くらいをまるでゲルマン民族のように移動移動しながらのお稽古の毎日!!
今考えたら本当に良く頑張りましたね。それから2~3年くらいした頃でしょうか!? もう借りながらのお稽古は限界に達するほど生徒さんが増えたのです。
運良く雷門のまったくの中心地に現在のお稽古場候補地が見つかり大改造して現在のお稽古場の誕生でした。

稽古場

これがそのお稽古場です。(その頃の写真)
大変な費用がかかりましたが、波島の親戚が近くでたまたま工務店を営んでいたのでこのような立派な教室が誕生したのです。

世の中って本当に不思議ですね。  振付作品(ビデオ)を販売するのに頭をひねっていたのが懐かしくなるほど振付作品の要望は増え、今ではなんと全国(台湾・ブラジルを含め)に4000人ほどの波島作品愛好者となりました。
同時に、撮影・編集等々私の得意分野なので全て私が制作するという画期的な態勢も整いました。

一途に変わらない信念。 何事も「覚悟」をもって立ち向かうところに成長があったように思います。
素晴らしいのは教室の顔が舞踊界の顔になるくらいの勢いで多くの皆さんから愛されるようになりました。

海外への公演、地域振興にと舞台に招かれ、教育員会より学生への指導をと。 キャリアの大きさはテレビ(ドラマ)の指導やCMの指導等々、そして当初から手掛けていた外国人(体験)の受け入れが様々なスポンサーから昨年も今年も2000名を突破するという業績。
他社の追随を許さない受け入れ方は昨今多くなったレンタル業等々と違う観点からの対応。
日本の中でもここまで日本舞踊(新舞踊)を広く紹介できている教室は類をみないところまで来ました。

私たちはあくまで純粋に「日本舞踊」を通しての指導です。
多くの夢をもった若者も頑張っていますが、なんとご高齢のみなさんも16名ほど腰が痛い足が痛いと言いながらも笑顔で楽しんでくださっています。

最近はなんでも簡単に入手できたり等で日舞のように時間のかかる習い事は難しいと言われています。
それでも、日本舞踊を習ってみたい若者に聞くと「日本人だから・・・・」が殆どです。 それだけ我々に責任があるとも言えますね。

殆ど同時期に興した会社の10周年にあたり、なにか感慨深いものを感じるのは同じ日本の伝統・文化に関わる者の成果に喜びを感じたからなんだと思います。

双方が言えるのは、きっと「覚悟」はしっかりしていたんでしょうね。
この仕事を通じ本当に多くの人に出会うことが出来ました。
その誰もが、心にふれながらの皆さんですから私も波島もこれ以上ない幸せ者ですね。

創立10-2

今回は「鶴亀」をご披露しましたが、お弟子さんにもともう1曲この舞台で踊らせて頂きました。
師匠の背中を見て遠慮せずに追いかけて欲しいと思わずにはいられません。

来年、銀座の能楽堂で(2/24)舞台に上がりますが、そこでもお弟子さんを上げたいと師匠の想い。
表舞台だけでなく、苦労に苦労を重ね感謝の心を発奮材料に堂々と舞台に立って欲しいと願っています。

まもなく今年も残り僅かになりましたが、初心を大切に心豊かな年月であればと思います。

バタバタしていておそらく今回のブログが今年最後の掲載となりそうです。


今年も1年本当にありがとうございました。

来年も宜しくお願いいたします。    それではどうぞ良いお年を。






 もう大丈夫 

完治


長い苦しみ(ヘルニア)から完全に抜け出せた記念の日だ。

8月10日の手術から10日ほどの入院。 それから9月に1回途中経過を知らせに行き、本日が医師の最終判断。
診察の前にレントゲン撮影、それを見て、再度診察をし、「よく頑張ったね。 もう大丈夫」
担当医にそう太鼓判を押され先生は右手を出した。  握手だった!! 粋な先生なんですよ。
それでも「もう大丈夫」と言われればやっぱり安心、これで太鼓判だ。
今日の青空のように気分も爽快。

カレンダーを買いに上野駅へ向かおうと病院を出た。
「もう来たくな~い ・・・」、そう思って振り返ったら「出口」とあったので1枚記念にシャッターを押した。
そうだ・・・・、出口だ!!  やっと出られた感があって意味深い光景(写真)だ。

当分は水中でのトレーニングは隅田川の散歩やジョギングより良いとのことなのでやはりプールでのトレーニングは続行決定だ。

年内に元気になれて本当に良かった。
明日はこの夏の災害に遭った新冠のお客様が教室来にるので元気にお出迎え出来そう♫

何事も健康あってですね。  お騒がせしました。










 少年のような気分

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毎日6時起床を心がけてプールに行くのが日課になりましたが、少し早く起きて隅田川へ足を延ばしました。
心が洗われるようなと言ったら正しいでしょうか!?  言葉のいらない光景に出会えました。
まさに「早起きは三文の得」・・・ですね

今年もいろんなことがあって学びの多い一年でした。 いくつになっても勉強することばかり。
私はこのスカイツリーが工事起工式からずっと見守ってきた一人です。 それだけに言いようのない愛着があるのもごく自然と言えば自然でしょう。

いつ完成するんだろうな・・・・と何度も何度も見守って来ました。
遂にその日が来たときの感動は忘れません。  50mも100mも200も300も全て工事記録を写真に収めました。
でも、完成してからもその日その日の顔を見せてくれるスカイツリーはどんなときも美しい。
昨日、西郷どんが最終回でしたが、西郷さんは今の日本をどう見ているんでしょうね。

時代には積み重ねがあるということです。
自分の人生しかりです。 昨日中学1年生のお弟子さんと3時間あまりお茶をしてきました。 大切な時期なんだな~と思うことがたくさんあってまるで父親の気分。
時代が変わっても、この子がまた継いでくれたら・・・、そう思うんですね。
そんなことがあってか今日はとっても早起きでした。

この光景を見て心が晴れる瞬間に居れることの幸福感。
この青空のように、新しい年は災害のない、事故のない、事件のない新しい年であって欲しいな・・・とこのタワーに手を合わせたんですよ。

無我夢中でいれることの幸せ。 まるで少年のような気分です。





 やればできるさ

プール

今年も本当にあとわずかになりましたね。

1月20日に食べ合わせが悪かったのが原因で腹痛を起こし、その影響もあって約1ケ月以上も病院通いをしました。
内臓で病院になんかかかったことがないのに・・・・(泣)
これが私の平成30年のスタートだったように思います。 

春が過ぎて5月のゴールデンウィークの2日。 あまりの好天気に誘われて日比谷公園の植木市や皇居を散歩と決め込んで出かけたんですが、本丸(天守閣跡)へ向かう坂道でどうも足の具合が・・・!!  シューズは合っているはずなのにその日の靴はつま先を締めつけられ足の爪は両方ともすっかり紫色に。

これが兆候だったんでしょうか・・・・!!
私はずっとずっと何年も隅田川をジョギングしたり散歩したりが結構楽しみのひとつだったんですが、初夏を感じる6月2日でした。
いつものようにトレニングウエアで出発。 雷門の赤い提灯をくぐった時でした。  あの素晴らしい青空に反し突然心が曇った瞬間を迎えました。  「痛っ!!」 両方の腰の辺りの大腿骨が瞬時の内に・・・  歩こうとしても激痛でどうにも足が動かない。
両手で腰を押さえ、ゆっくりなら・・・・と足を出そうとするももう今までに経験したことの無い痛みが治まりません。
2分とこらえられませんでした。 「この痛みは何だ!!」
仕方なしにタクシーを捕まえ急遽自宅へ・・・。 その間も痛みは増すばかり・・・
しばらくベットに横たわったもののもう限界。  これがあの長い苦しみの始まりでした。

救急車とも思いましたが近所迷惑なのでタクシーを呼び急ぎ病院へ。
薬と腰に巻くバンドを受け取って帰宅。  薬を服用することで気のせいでも痛みが和らいだ錯覚。

日に日にこの痛みは強くなり、「医師(せんせい)、とにかくこの痛みだけ取り除いてください・・・・」の連続。
結局ヘルニアと診断され第1回目のブロック注射。
私は確か約30年ほど前にヘルニアになりその時は後ろの腰の部分が痛み、病院で初めて「ブロック注射」を経験しました。
だから、ブロック注射と言われたときは「これで治る・・・・」そう思いました。
ところが、ブロックを打っても全く効かない。

それで仕方なく初めて痛み止めの薬「座薬」を使用。
なんとなんと、この座薬の効果は抜群!!  効き目は最高。
・・・・・、これがいけなかったんですね。   確かに座薬の効果は素晴らしい。 ついついこれを3ケ月も使用してしまいました。
内臓には絶対に良くないそうです。 しかし、そんなこと言っていられなかった。
5月半ばから兆候があり、6月2日に激痛。 7月はもう最悪でした。 仕事だけはキチンとやらないと・・・とその責任感は半端でない自分を知っていましたがもう座薬を入れても効き目は薄れるばかり。
デンマークへ行く中学校の生徒たちを指導して今年で10年目の節目でもあった関係でとうとう杖を頼りに学校へ向かいました。こんなみじめな姿をいまだかって自分でも見たことがない。

絞り出すような声で「痛てぃな~・・・・」は我慢のひとり言。
7月の末に、もう我慢の限界で「医師(先生)、どうなるか分かりませんが、手術をしてください・・・」と嘆願。
手術は8月10日と決まった。  

ご存知のように、今年の夏場は台風や豪雨で岡山・広島他日本列島は大変な災害でしたね。
その災害と同時期に一緒に苦しんでいたことになりますね。

手術は見事に成功。 生まれて初めての全身麻酔も経験しました。  ほっぺをたたきながら何度も名前を呼ばれたんでしょう。きっと何回目かでふと目が覚めました。
何にも分からないまま無事手術が終わった瞬間でした。  あの痛みは嘘のように消えていました。
嬉しかった。   その時の気持ちは日記帳にしっかり書き記しました。

約2週間ほどの入院生活に別れを告げめでたく退院。
しかし、ここからが問題でしたね! 約100日ほど歩けなかった期間はすっかり足腰の筋肉を失い、まるで他人のような自分の情けない身体(たいりょく)
1週間ほどは安静にし、それからゆっくりゆっくり歩き始めたのが9月の初め。
横断歩道で少し速めに向こう側へと2~3歩小走りしようとしたらなんと転倒!!  完全に筋肉が落ちているな~の実感。
それでもほんの少しでもと9月でもあの暑さの中毎日10分ほど散歩に挑戦。

そんなときでした。  そうだ。水の中ならきっと・・・・
自宅から自転車で5分ほどのところにあるスポーツセンターを思い出し相談に。
プールがあることは知っていましたが、ここでリハビリができるとは思いませんでした。

聞くと7コースある中で1コースだけ「ウォーキングコース」というのがあるらしい。
早速会員になり10月より通い始めました。  1~6コースは25mプールを多くの会員がスイスイ泳いでいます。
この写真でいう一番右側が7コースでつまりウォーキング専用コースです。
人一倍泳ぐことが好きな私が全く泳ぐことなく、ただひたすら歩く。 歩く歩く歩く。
前に向かって・・・、後ろ向きで・・・、横歩き・・・。 つまりとにかく歩いています。  朝6時起床、軽い朝食をとり7時30分にはウォーキングスタート。  モーニング会員なので10時まで使用可能。
隣でスイスイ泳ぐ人を横目にただひたすら歩いています。 不思議なもので水の中で歩くと決して無理はできません。それが良いんでしょうね。 毎日最低60分は歩きます。
丁度2ケ月が過ぎたんですねプールのリハビリは!!
2週間ほど前でした。 マンションのエレベーターが修理の為動かない日がありました。  「え~っ!非常階段を歩くの・・・・!?」そんな日に限って所用でどうしても階段を2往復。 ところがです。足腰が何ともないんです!!

12月の2日に某スポンサーのコマーシャル撮影があり、お正月バージョンで「羽子板」で遊ぶシーンの指導をして欲しいと頼まれ、お姫様役3人の着物姿での羽根つきのシーンを指導しました。
本番前に40~50分羽子板でラリーの練習。 平成生まれの女性は羽子板で遊ぶなど経験がないんでしょうね!
ところがなんともラリーには程遠い状況。  仕方なしに何度も何度も姫たちと練習。 返ってくる羽根は想像してください。右に左にと追いかけるだけでまるでクラブ活動状態。 さすがに本番前は疲れました(笑)
セットの縁側に腰かけて感じたこと。 「えっ! なになになに・・・・!? 全く疲れていないじゃないか!?」。
あれだけ右に左にと羽根を追いかけたのに足腰は万々。  凄い!! 自分に感動しました。
プールのお陰だ。  プールの効果だ。  恐ろしいほどの回復と、もしかしたらヘルニアになる前よりも頑強な足腰になったかも。

勿論これは自分にしか分かりませんが、間違いなく足腰は鍛えられていました。

プールで歩きながら、心のどこかで、「もうあの苦しみ激痛は嫌だ・・・・。」そう思いながら歩いています。
プールは泳ぐところだ・・・・という概念は変わりました。

雨が降ろうが、強風であろうが毎日通っています。
確かに、6時に起きる瞬間「んんん・・・・どうしようかな・・・・」と起きることへのためらいが無いわけではありません。
しかし、トーストを食べたらしめたものです。  これで私の1日が始まる訳だから。

折角会員になったんだから隅田川のジョギングはこれからもプールにしようと決めました。
今ではリハビリでなく、普通にトレーニングになっているように思います。
右の壁に丸い窓がありますが、そこからスカイツリーがとってもよく見えて気分も最高。

いろいろあった1年でした。
来年はきっと素晴らしいことが待っているような気がするんです。
いつまでも健康で居れたらこれ以上の幸せはありませんからね。  素晴らしい場所に出会えました。

今日で手術をしてから丁度4ケ月目です。






 あおり運転の大罪

事故車

現在、あおり運転で亡くなったご両親の裁判が話題になっています。

あきれるのは、どんな加害者にも弁護士がついて弁明をしているということです。
私はこうした内容に首を突っ込んでこのような場で意見を述べるのは正直初めてです。
ネットに載せればなんだか訳のわからない攻撃を喰うのが関の山だからなんですね。

私も実際に30年ほど前に「あおり運転」に遭い九死に一生を得た経験があります。

それは、雪国の高速道路を走行中のことでした。

周りにはいっぱいの雪野原。 しかし、ご存知のように雪国の高速道路というのはそれは見事な除雪が成され
道路には雪ひとつありません。
仕事帰りであと3kmくらいで最寄りのインターというところ。 真っ白な乗用車が我がもの顔で走ってきました。
・・・・と同時に私も、私の前に1台の乗用車が居たのでそれを避けようと余裕をもって追い越しにかかりました。
ところが私の後ろの車も一緒に追い越しラインに出たのです。  ということは私が邪魔になりますね。
でも、先に追い越し態勢をとったのは私です。
もう追い越しを始めたのでまた走行車線に戻る訳にはいかないタイミングだったのです。
ところが、私の後ろの車は即私が邪魔になったのでしょう・・・・! 「どけどけ~・・・・」と声が聞こえるような運転ぶりで猛スピードであおり始めました。
私も追い越し中ですから、それを避けるのにおそらく90kmほどのスピードは出していたと思います。

するとどうでしょう!!  私が無事追い越しを終えて走行車線に入った途端です。 当然私よりスピードを出し私を追い越した車は突然私の前に入り込み、入り込んだと思った瞬間キューっとブレーキをかけたんです。
「危ない・・・・」っと思い、とっさにブレーキを少し踏みました。 ところが、その道路は殆どアイスバーン状態だったのです。
つまり、私がブレーキを踏んだ瞬間もうハンドルの制御はまったく利かず左横滑りしながら左のガードレールにもの凄い勢いで向かい始めました。  今でもあの恐怖は忘れることが出来ません。
もうとても前を見る余裕などありません。  利かなくなったハンドルをなんとか正常な態勢に戻そうなどしていられないんです。
つまり「ああ!これで終わった」・・・と思った瞬間でした。  なんと私の車両はまるでサーカスでも見ているようにクルーンとその道路をスローモーションで2回転。  そして次の瞬間ド~ン・・・・と。  ガードレールにぶつかった音でしょう・・・・!!  しかし、それでもまだ止まらず今度は追い越し車線側(右)のガードレールにど~ん!!!!   そこまでは覚えていました。
もう1回ど~んと・・・・。  つまり3回ぶつかったんですね。   それでやっと車は止まりました。

なんと私は運良く全く無傷でした。
110番通報した後私は非常灯を焚いて後続の車に事故を知らせたのは本当に無我夢中で全てとっさでした。
勿論興奮していましたから何が何だか分かりません。   私の車両は大破でした。
パトカーと救急車他誰かが知らせたんでしょう・・・  大袈裟すぎるほどの関係車両が集まりました。
警察官が大破した私の車両を覗き込み、「運転手は大丈夫か・・・・!!?」と叫びます。、
声の出ない興奮状態の私は人さし指で自分を示し、「ここここ・・・・」と運転手が自分であることを・・・。

急ブレーキをかけた車両のナンバーはあまりの突然の出来事で覚えておらず、どこの誰やら・・・!!
ブレーキをかけ、あおった車両はおそらくバックミラーで私の車両の凄い動きを見ながら走り去った(逃げた)んでしょう。
警察官が車両を見て、「よく無事だったね・・・・!良かった良かった・・・」と。
それからインターにある交通事務所で長い長い調書をとられました。
これが、もし私が死んでいてもおかしくなかった分けです。
あおったり、急ブレーキをかけた車両は逃げ去りました。

実は、私の父も追い越し車線をはみ出したダンプカーで正面衝突で即死、52歳の若さでです。
バスの後ろにいたダンプはいきなり追い越し禁止車線で追い越し、父と・・・

その運転手は逃げずにお詫びに来ました。  しかし、人間死んじまっちゃどうにもなりません。

ここで、「あおり運転」についてですが、それを弁護する人は大きなことを忘れていると言いたいんです。
これらは、机上の議論で解決など絶対に出来ないということです。

あおられた側がどんな恐怖を味わっているか!?  想像を絶する怖い現実のあることを決して忘れてはいけません。
車は間違いなく走る凶器です。 「性格」・・・・と言ってしまえばそれまでですが、そうした怒りっぽい性格の人間は決してハンドルを握ってはいけませんね。
事故が起きてから返って来る加害者の言葉はその殆どが屁理屈でしかありません。  留置場に入り刑務所でどんなに反省しても亡くなった人が生き返る訳ではありません。
世の中には防げない災難(災害)がありますね。 それでも家族や子供を失えばその悲しみや苦しみはとてもどんな慰めも効かないほどむごいものです。
しかし、「あおり運転」で起こる事故は100%防げる事故です。

車に乗らなくても簡単に頭に血が上る御仁もいます。  優越感の中で我がもの顔!!??

あおるような人間はどんな理由もききません。
無責任な人間に限って言いわけをする者が少なくありません。
人を愛する心を持てれば決してこのような事態は起こらないのですが、昔どこかの社長も酒を飲んではハンドルを握っていました。 どんなに注意しても、「俺は社長だ・・・・」と思っているとしか思えません。

いつも言っているように、相手を思いやる心があれば決して事故にはなりませんね。

交通事故だけではありません。  自分本位で自分勝手な人間はどれだけ多くの人に迷惑をかけているか・・・。

全て事故は心の成せる業なんです。
自分本位でなく、譲ってあげたり感謝ができたり、一番大切なことが失われつつある平成だったかもしれません。

「あおる」など優しい心あれば無縁のはずです。  人は、一人では生きてゆけないんですよ。

今回の裁判ですが、潔さがせめて仏になった人への償いでしょう。
ここにきて迄まだ自己防衛したいんだろうか!?   加害者よどんな言い訳も効かないことを知りなさい。
往生際が悪すぎる。

弁護人も理屈をこねている場合じゃないんだ。
最後にひとつ聞こう。「もし弁護人あなたの家族がそうした事故で亡くなったらそれでもあなたは加害者を弁護するんですか!?」

理屈じゃないんだ。  みんな平和に幸せになる権利があるんだ。 
だから解決は仕事では処理できないんだよ。   被害者のご家族を思うと心が痛みます。

(ちなみに、この写真は当時の私の事故車ではありません)






プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
演出家

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