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 GINZASIXと波島陽子 4

未来への橋掛かり 2


能でいうと、奥から「お幕(おまぁく)」と小さな声がかかって、両幕が揚がり、シテが登場のシーンです。
真ん中を歩めるのはシテだけで、ワキやツレ・囃子は壁側の片幕しか揚がらず、そのまま端を通って舞台に向かうのです。
ですから、この写真はとても貴重ですよ。
平成から新しい時代に入ってゆくにふさわしい陽子さんです



このコメントをくださったのは、元NHKプロデゥーサーである加藤和郎先生からです。
昨年11月にこのイベントのお誘いがあり私のキャスティング・構成で波島の「鶴亀」を最初に、最後は波島社中が締めさせて頂くという舞台にさせて頂きました。

厳かで厳粛なお能独特な世界。 やはり重厚感が半端じゃないですねお能の舞台は。

舞台の始まりは波島の「鶴亀」でしたが身びいきなしで感動しました。 今回観に来れなかった皆さんはきっと損をしたと思うほどの素晴らしさであったことはこの上なく嬉しいことでした。

波島陽子が「鶴亀」でスタートしたのは大正解でした。そして他の流派の皆さんが踊り、最後は波島社中のみなさんが踊りましたが、お弟子さんたちには良い学びの場になったことでしょう。

初々しくも美しく、最後を波島社中で飾れたのも作品内容からおそらく合格点を頂けたメドレーだったと思います。

少し時間はかかりますが、波島陽子のホームページには是非その映像を載せたいと思っていますので楽しみにしていてください。
力を着けたチーム力は魅せるに値する見事さでした。

でも、考えてみたら幸せですよね生徒さんは。 インドやドイツ・タイや台湾他、国内でも様々な舞台を提供し日本の伝統文化を楽しんで頂きたいと計画する舞台に立てるんですからね!!
勿論、今後も増えるであろうこうした舞台で更に力をつけて行って欲しいと願っています。

ここで、もうひとつお伝えしておかなければいけないことがあります。
鶴亀で波島が登場した瞬間、それは会場をいっきに呑み込む美しさがあったことについてです。
確かに演じ手だけが前面で評価を受けることが多いのは確かです。 しかし、あの衣装を着つけてくださった着付師の存在は無視できません。

一流の役者さんで知らない人はいない着付師田島貴代子さんその人です。 

分かりやすく言えば、現在もずっと新橋や赤坂の芸者さんは「田島さんにお願い」となります。  波島は芸事を始めた当初から可愛がって頂いてきました。  勿論、波島の人柄があるにしろこの出会いは波島にとって幸せな人生だったと思います。

波島社中のお弟子さんは当たり前のように着付けて頂いていますが、とんでもない素晴らしい(一流)人に着付けて頂いているんですね。  おそらく写真や映像で分っているでしょうが本当に幸せな生徒さんたちです。

3年ほど前に開催した「波島陽子芸能生活30周年」の舞台は浅草の大劇場でなんと7時間の舞台。
なかなか生徒さんが集まらない昨今では画期的な教室になりました。 これもやはり家元の人柄なんだな・・・ってつくづく思います。
「今回の能楽堂の舞台の美しさはまさに陽子先生のお人柄・・・」 そうおっしゃってくださいる多くのご意見を生徒さんに直接聞かせたい嬉しい生の声でした。

波島に見せて頂いたfacebookにお友達からこんな嬉しいコメントが入っていました。 お友達なんて言ったら叱られますね。波島が尊敬して止まないそれは立派な舞踊家の大先輩です。

その一文を是非ご紹介させていただきます。

 「波島流家元波島陽子師とその社中の舞台を拝見して参りました。 本舞台は個人撮影禁止ですのでリハーサル撮影の時のお家元の姿です。 まるで動く日本人形のよう。
図々しくも能舞台に上がらせて頂き記念写真を。 能舞台で舞われる姿は上品この上なく清々しく まさしく天女のよう。
波島陽子師は私が今一番尊敬し大変におこがましいのですが注目している若き舞踊家です。

日本舞踊の魅力を日々 世界に向けて発信なさり若手の育成にも心血を注いでおられます。
お弟子さん方の舞台も清らかさと真剣さとご指導の行き届いたとても気持ちの良いものでした
。」・・・と。

涙が出るほど愛情のこもった文面にしばらく陶酔していました。  嬉しいですね。

舞台がハネ、次々と送られてくるお祝いや嬉しいメッセージ。 どう表現したら良いか分かりませんが多くのみなさん(観客)がため息交じりに感動していたことがしっかり伝わって来たのです。
「圧巻でした・・・・」一人一人頑張ったお弟子さんたちに知らせてあげたいと思います。

近隣はもとより、九州から、島根から、兵庫や宮城福島と本当に遠方から駆けつけてくださり波島も感激しきりでした。この場を借りて厚く御礼申し上げます。

私はこの機会を逃すまいとずっとそばで見ていたので正直とってもよく分ります。
こういう舞踊家が日本を背負わないといけないな・・・と。 ここまで来れば身びいきとかの次元ではありません。
「波島陽子の舞台を観たら分る」 その一語に尽きます。
宣伝文句でもアピールでも何でもありません。 一体文化庁の役人はどこに目をつけているんだい・・・・!!そう言いたいほど素晴らしい舞台でした。

波島陽子は毎年台東区の中学校の生徒たちに「デンマーク」に親善大使として渡航する全員にもう11年も連続で日本舞踊を指導して来ました。 
当時5歳だったお弟子さんが現在丁度その年齢になりました。 まだ中学1年生ですがその実力(日舞)は本物です。
「大江戸祭りばやしの一番若い高校の生徒でしょうか、とっても良かった」・・・とメールが届きましたが中学一年生ですよと話すとびっくり。
他にも全くの新人さんを2名舞台に上げました。 何の違和感もないことこそ、波島陽子から習っているからと声を大にして言えますね。



取材です


能楽堂という画期的な舞台出演ということで新聞社の取材を受け、そのインタビュウの一言一言に「なんて重みのある人生なんだろう・・・・」と感心しきりでした。

指導者の想いが熱ければ熱いだけ多くの若者が育つ。  そう思います。
今年もすでに5名の新人さんが雷門通いをしていますが、正しく育って欲しいですね。

能楽が700年の伝統だそうですが、波島も決して負けない日本舞踊の伝統の継承にこれからも頑張って頂きたいと思います。

新聞記者にそんなこんなを語っているうちに記者も熱が入り気合いがこもったようにも感じました。

新しい元号(じだい)に向かい、今回の舞台は日本舞踊も捨てたもんじゃないなって確信を持てました。

いつかどこかで、是非波島陽子の舞台を観てほしいですね。   素晴らしかったですよ。






  GINZASIXと波島陽子 3

銀6-1


ここは銀座松坂屋のあった建物ですね。
銀座最大の商業施設としてこの地(銀座6丁目)に誕生してまだ2年前後というフレッシュな建物GINZASIXです。

実は、この地下3階が観世能楽堂なんですね。  約500名収容の大きな会場は銀座のど真ん中に誕生した訳です。

芸事に携わっている我々にとって、最も古い日本の伝統芸能の殿堂がこんなにも便利な場所に誕生したことは本当に嬉しい限りです。
浅草も外国人観光客の知名度は抜群なものがありますが、なんと言っても能楽の700年の伝統は素晴らしい!!

いよいよ本番も迫って参りましたが、この24日は波島陽子がその舞台に上がります。
他9名のお弟子さんも初の舞台を前に緊張気味なのがしっかり伝わって来ています。

演目は私が選ばせて頂きました。
先ずは家元「波島陽子」が二十歳の記念祭(イベントタイトル)にふさわしい祝儀舞で幕を開けて頂くことにしました。

いろんな会場で、いろんな会社の式典やデイナーショーで披露する幕開けにふさわしい祝儀舞にいつも大きな拍手が鳴り止みません。 日本舞踊の素晴らしさを存分に味わっていただいて来ましたが、今回は特別な舞台。
今からわくわくしています。
波島の舞を観たい・・・と九州から東北地方までの人が「楽しみに駆けつけますよ!」と。 これほど嬉しいことはありませんね。
この皆さんがは日頃波島陽子の日本舞踊振付作品(DVD)のフアンの皆さんで嬉しいことに好んで「波島作品」を踊って下さっています。

時々、国内は勿論海外への舞台出演の依頼が飛び込んで来ますが、波島は極力お弟子さんを推薦しそれらの舞台に立たせようと多くのお弟子さんを送り込んで来ました。
自分が自分がと前面に立つ同業の師匠と比べると「どうして家元本人が出ないんだろう・・・」と不思議に思うことがあるそうです。
心からお弟子さん(生徒)に多くの経験を積ませたいとの心情であることは分かります。  しかし、力量からすれば大きな開きがありスポンサーには申し訳ないな・・・と思いながらもその分通常のお稽古以外に特別レッスンを重ね恥ずかしくない作品にして送り出しています。
周りの諸先生やスタッフのみなさんはもう慣れたと言うもののいつまでも驚きだそうです。
先生に代わって公演に出かけるお弟子さんが成長することを祈るのみですね。

しかし、今度ばかりは「是非波島先生に・・・」と出演依頼を受けました。  ここでも、お弟子さんも出演のチャンスを頂けるのであれば・・・・と承諾。 そして波島社中としての出演が決まりました。


銀6-3

日頃は写真のような出し物が中心ですが、スポンサーの「二十歳の誕生祭」にふさわしい演目を選び、若いお弟子さんたちが華やかに美しくそれぞれの演目をご披露させて頂きます。

緊張が伝わると言いますが、最高の舞台に立つお弟子さんたちにはこれ以上ない舞台での出演となりました。
日頃のお稽古の成果を遺憾なく発揮してくれたら十分喜んで頂けると楽しみにしています。

何をするにも「差別化」という言葉がありますが、今回は他の流派の皆さんとの競演となりました。
常々師匠波島が言うように、「何事も経験」、「見て学ぶことは多い」・・・・ということを肝に銘じ、出演者にはしっかり学んで頂けたら出演の意義があるのかなと思っています。

日本舞踊を習っていても、なかなかこのような機会には出会えません。
波島陽子が築き上げてきた一種の集大成であれば家元もほっとすることでしょう。

穏やかで、人に優しく、思いやりが溢れているからこそその芸風は素晴らしい・・・と多くのご支持を頂いて来ました。
こればかりは「人間性」の何ものでもない気がしてなりません。

踊りだけを教えるのではなく、命令するわけでもない師匠の下で、そうした心根を盗み取ってくれようとする生徒がいる限り美しい舞台をご披露し続けることが出来るような気がします。

世の中が殺伐とし、スマホ時代に見るように「心の美しさ」を失くしつつある若者世代。
波島教室の若者が舞う舞台は、改めて日本舞踊の素晴らしさを魅せてくれるに違いないと確信しています。

出演者は、心を無にし、積み重ねたお稽古を信じ、思う存分能楽堂の舞台を満喫してもらいたいと思います。

全国から来場される観客のみなさんに、これぞ波島社中といわれる舞台を見せてあげてください。








  GINZASIXと波島陽子 2

舞台写真


さあ、GINZASIX観世能楽堂の舞台出演がまもなくと迫って来ました。

波島陽子圧巻の舞。 昨年からお祝い事が続き、いろんな舞台で祝儀舞を披露して来ました。  いろんな踊り手さんの日本舞踊を観て来ましたが、最近の波島陽子の踊りは言葉を失うほどの感動を受けます。  実際、カメラを向けていた私の手が震えた瞬間。その瞬間と共に観客のみなさんのため息まで聞こえてきます。
身びいきでなく、一人の踊り手として見てこれだけの観客をとりこにする舞いはどこから表現できているんだろう・・・と何度も胸を押さえました。

生徒やお弟子さんにも見せてあげたい。
芸能生活33年を迎え、少しずつ円熟の域に入っているんだろうなと思いますが、本人は至って謙虚。「まだまだ上手い人は沢山います」・・・とその心根には頭が下がります。

日本舞踊に関わっている人なら分ると思いますが、確かに日本舞踊はお金がかかるのは事実です。
ところが、波島陽子日本舞踊教室の生徒のみなさんはひょっとするとまだ気づかないのかもと思う人が多いですね。
素晴らしい舞台で普通の教室の1/3か1/4ほどの費用でみなさんあの豪華な舞台に立てているんです。

家元は商売として教室を運営できない人なんですね。

お金がかかれば若い人が素晴らしい日本の伝統や文化から縁遠くなってしまう。 こればかりです。
ある程度は分ります。  しかし、師匠の心根が理解できるなら、師匠に負けない礼儀作法、優しい心や思いやりを是非身に着けて欲しいと思わずにはいられません。

誰に対しても優しい、感謝を忘れない、全てに愛情を注ぐ、そんな生き方が波島陽子の舞姿に表れていると言って過言ではないでしょう。
時に、頭にくるほどお人好しなところが顔を覗かせます。   こんな女性がこの世に居るんだな・・・・と感心しきり。

冒頭で圧巻の舞台・・・・と言いましたが、言葉は要らないです。
まさに魂の踊り(ぶたい)と言えるでしょう。

今回のGINZASIXの舞台も波島は生徒さんやお弟子さん以上にこの出演を心から喜んでいました。 本当に純粋無垢ですね。
今回、あるプロデュサーから能楽堂の推薦を受けたとき、このプロデュサーは見る目があるな・・・と直感しました。

先日、ある会場である舞踊家の先生との打合せ会があり出席して来ました。
まだ師匠風を吹かしている先生がいるという現実です。
名残りというなら分りますが今のこの時代にです。  でも、考え方を変えて見てみれば、芸の世界はもっと厳しくて当然なんだと思います。
私の知っているプロの舞踊家がこんなことを言ったことがありました。
「私は罵声を浴びせられ、怒鳴られ、意地悪に近い目に遭いながら10年もこの世界を歩いて来ました。だから、私は新人に対し同じように厳しく当たって行こうと思っています。」というのです。  確かに、ところどころ私が居ないと先輩風を吹かすこともありました。

では波島は・・・・と言うと、波島はもっと厳しい時間を長い年月過ごして来たと言います。
でも、私は怒って指導することはしたくない。 自分がやられて嫌だったことを自身の弟子にはしたくない・・・・と考えてみたら100%に近いほど怒らずに指導を続けています。
いつだったか、ある会社の社長らしき男性がお稽古に通っていたことがありました。
わがままで威張っていて本当に困った時期がありましたね。 さすがの波島も我慢は3度まで。 4度目の毅然とした態度はほれぼれするほどでした。 相手の傲慢でわがままな態度に対し、「あなたは日本舞踊を学ぶ資格がない・・・」とバッサリ切り捨てたのです。
それ以来彼が来ることはありませんでしたが、実は内緒で私には「もう一度お稽古できるよう取り計らって欲しい・・・・」との嘆願があったのです。 「先生がそう言うのなら無理ですね・・・・」とお断りしました。
優しすぎることへの甘えですね。 中には授業料を払っているんだからという態度の者もいました。

先生は基本、「来ていただいているのだから」「お金を払っているお客様なんだから・・・・」と我慢する場面もあります。
私はそこでこそ学んで欲しいな・・・と思っています。
いつだったか、指導の話の中で、怒るということは指導力が無いから怒るんだと述べたことがあったかと思います。
波島を見ていて「その通り」・・・・と思いますね。 だいたい、会社の上司や経営者、学校での部活の指導者を観れば分ります。自分が思うようにいかないときにイライラするは日常茶飯事。
指導力があれば怒らずとも教えられるということです。 ただ怖いのは、怒らないのは舐められることにつながる可能性もあるということです。 ここが難しいところでしょう。

勿論、家元に感化されている人の方が多いです。
そうした人たちはやはり伸び方が全く違いますね。  私はそうした観点からも生徒さんやお弟子さんを見て今回のような舞台への推薦方法に役立てています。
「上手いから出れる」・・・・、それは基本大切なことです。  しかし、礼儀作法や感謝の心、何よりも打ちこむ姿勢。一生懸命が報われる選び方にも心を砕いています。
つまり、踊り(ぶたい)の良し悪しは学ぶ姿勢が一番の評価対象だからです。 勿論、あるレベルまで到達出来ていない者はなかなか合格点はもらえません。

波島の根底にあるみな平等の中で、少しでも張り合いであったり励みになったり、夢の実現への姿勢等々をしっかり理解しながら舞台に上げたいと思う訳です。
今回の能楽堂は新人は難しいと思って当然の舞台です。  しかし、今回2名の新人を選びました。ここでは、まだ波島は全く知りません。  私とのキャッチボールの中で気づかされることはたくさんあります。

すなわち、日本舞踊を学ぶにふさわしい心根を持っているということです。 ただ、そうは言っても飛びぬけた心根を持っていないと舞台はダメになってしまいます。  それほど私はしっかり把握しているんですね。

今回の能楽堂の舞台。 師匠の一挙主一動を見逃さず学んで欲しいと願わずにはおられません。
つまり、それこそが師匠波島陽子の心(せかい)だからです。

世の中に、集大成という言葉がありますが、踊りを習うことも大切ですが、ここでは師匠波島陽子の心根を学んで頂ければ合格です。

大きな舞台になればなるほど観客数も増えます。
その殆どがため息をつくような舞台。 それこそが芸術だと思います。

今回、是非その素晴らしい舞台をその目に焼き付けて頂けたら嬉しいですね。

そうした意味でも今回のGINZASIXの舞台は意味があり意義があるんですね。
私たちは本気で日本の伝統文化を継承して行きたいと願っています。

この素晴らしい舞台での出演を契機に、一人でもそうした思いが伝わってくれたらGINZASIXの舞台に立てて良かったと言えるんだと思います。
ものごとに向かう姿勢こそ波島から学んで欲しいと思っています。





  GINZASIX と波島陽子

GINZASIX.jpg


さて、いよいよ本番が近づいて、出演者一同気持ちが高揚し始めてきたようです。

スポーツでも何でもそうですが、緊張感というものは良いものです。
とても夢にも思っていなかった能楽堂の舞台。 正式には「二十五世観世左近記念能楽堂」と言いますが、ご存知のように能楽は日本のあらゆる伝統芸能の中でももっとも古く、700年もの最古からなるものです。

どちらかというと波島陽子の舞いは「能の足」が基本です。  というよりその美しさを能楽の足で振り付けたいとするのが日本舞踊の新作に振付けている波島流の特徴なんですね。
一般的に新舞踊と言われている作品を全国の皆さんが好んで踊っていますが、これらの演歌等を振り付けるとなんとも言えない美しい作品に仕上がるのが波島の特徴でしょう。

私が思うに、今回のような能楽堂での舞台でもまったく違和感なく観る者を魅了する力は素晴らしいものだと再認識するはずです。
それが波島作品の素晴らしさなんですね。  実際、能楽堂での出演が決まったとき、本人波島は言いようのない喜びが湧いたはずです。 つまり、芸風が合うからなんですね。

前回の浅草公会堂の舞台は7時間の公演でした。  現在、ひとつの教室で7時間の公演など考えられないことです。
多くのみなさんから本当に嬉しい感想が届きました。 
そうしたみなさんに是非この能楽堂での舞台(公演)を観て頂きたいですね。

銀座のど真ん中に登場した能楽堂には大型バスで乗り込める施設として話題になりました。
2020年を前に海外からのお客様を当て込んだ500席を有した施設。 まもなく開演です。

この舞台は勿論映像でもご案内しますので是非楽しみにして頂きたいですね。

選ばれた生徒たちもこれ以上ない幸せ者だと羨ましいほどそう思います。
どんなに世の中が便利な時代になっても、これこそが心の文化だと思います。

日本を代表する能楽堂での舞台に立っての日本舞踊。 きっと見ごたえがあるに違いありません。
これぞ日本舞踊と言えるようにと生徒さんたちも意気込んでそのお稽古に余念がありません。

GINZASIXで波島陽子が舞う。  想像しただけでも心がわくわくして来ますね。

是非、私と同様GINZASIX能楽堂の波島陽子の舞台をお楽しみに。

遠くは九州から青森とこの日を待ちきれない人がいると聞いてこの企画(舞台)の大きさに驚かされています。

しっかり秒読みに入りましたよ。   





 仲間たち(クラスメイト)

クラスメイト

    帽子まるめて いるあいつ
   リンゴをかじって  いるあいつ
   記念写真は とぼけていても
   肩をならべた ツメエリにゃ
   夢をだいてた 仲間たち



ただただ懐かしい写真だ。  これは私の親友の自宅内にある贅沢な一画(広大な庭!?)です。
いつだったか、「花の咲くころみんなで俺の家に来ただよ・・・」といつも飾らない口調でこの写真を送ってくれました。

この写真で、「えっ!・・・・」と面影に触れながら「分る分る・・・、いや誰だっけ・・・・」と。 しかし、みんなそれとなく面影のあるクラスメイトだ!!  女性軍は高校のときの制服姿しか知らないのですっかりおばちゃんになったこの1枚に時代の流れを感じましたね(笑)。
まあ、自分もおなじように年齢を重ねている訳だがそれにしてもよくここまで年を重ねたものだ(まるで他人ごと)。

高校の頃から性格というものは変わらないもので親友の行動は手に取るように分かる。

いたずら坊主は「社会に出て人の役に立つ」と言うが彼がまさにそうなんだな・・・と思えてならない。
私が社会に出て、同じころ、お互いに名古屋に居た時期があってよく行き来していました。

私よりずっと早く結婚してチョンガーの私はよく新婚家庭にお邪魔したものです。

「え~・・・・っ!!!」と思う程素敵な女性(奥さん)だったことを覚えている。  「えっ!!なんでなんで・・・!!」「なんでこんな素敵な奥さんを・・・、まさか騙したんじゃないだろうな(笑)」 本当にこれが第一印象でした。
心の中でただ一言、「大事にしろよ・・・」間違いなくそう思いながら帰ったように思う。
あまりにも学生時代わんぱくだったものだから、「おい、昔の話はするなよ・・・・」(笑)・・・・とすぐさま口止めされて納得(笑)。
そんな友のこと、今日はこのブログで全てバラシてみたいと思う(笑)

先日も朝の忙しい時間に「おい、ブログ読んだよ・・・・」と電話が・・・。  なんと24分もしゃべり続ける!!
まるで女子の会話時間のようだ・・・・と思いながら、良い友をもったな~・・・と改めて感激。

上の写真は、彼の庭にクラスメイトを招待したときの写真ですが、なかなか出来ないことです。
ここには写っていませんが、縁側を囲む時折々の花はそれは見事です。  自宅もときどき自身で改装しながら生活をエンジョイしていてその生活ぶりはNHKTVで取材に来たほどです。  やはり大自然で育った典型的な男ですね。

私も上京する前は100坪の庭を妖精の棲家にと生活をエンジョイしていました。 まあ、まさに2人ともロマンチストなのかも知れません。
話しは戻りますが、私は彼との付き合いはず~っと続いていましたが、他のクラスメイトと会うことはまずありませんでした。
いろんな仕事に就いていて、まるでゲルマン民族のように様々な仕事を経験しましたが、その日を必死で生きていたせいか同級生とは音信不通でみんなには一時住所不明状態で同級会や同窓会等は全く無縁でしたね。

それでも親友だけはおそらく私の歩いて来た道程を一番知っていたんじゃないかな!?
私が演歌の大御所のディナーショーを全国で展開出来たのも彼のお陰でした。  
そして10年後、今の仕事を立ち上げてから、ただがむしゃらに月日を重ねて来ましたが、2年ほど前の波島陽子の舞台が芸能生活30周年ということでなんと彼がクラスメイトを15人ほど浅草公会堂まで引き連れて来てくれました。
公演の途中(空き時間)に全員(それぞれ)に高校以来初めて会いました。
上手く言えませんが、浦島太郎状態であまりの懐かしさに今でも言葉にならなかったことを覚えています。

冒頭で述べたように昔を思い出すのに少し時間をかけながら・・・・「ああ!お前か~!!?」  喧嘩をした奴も、ふざけっこばかりしていた奴も、会いたい・・・と思っていた奴も。 あのときの瞬間は忘れられませんでしたね。
それぞれどんな人生を歩んできたのかな~ !!   でも、笑顔いっぱいの仲間に会えたことでいっぺんにあの当時へタイムスリップ。
優秀な子ってなかなか恩師は覚えていなく、やんちゃでいたずら坊主(つまり手のかかった奴)ほど覚えているんだと聞いたことがありますが、そうしてみると彼はとっても先生の記憶に鮮明にその記憶(思い出)があったんでしょうね(笑)。
まあ、そのうちの一人が私でもありましたが!

高校2年の冬、教室のだるまストーブに鍋をかけ午前中に仕掛けた「どじょう鍋」、豆腐を入れ、ゴボウを入れ、ピチピチしていたどじょうを熱湯の鍋に入れる。 醤油で味付け、多少の日本酒を加える。料理の時間ではありません。好きなやつらが集まって作るどじょう鍋の匂いは3限の授業が終わるころは出来上がり。 生物の先生(柔道の顧問)がその美味しそうな匂いに惹かれ、「んんんん!!、なんだこれは・・・」と蓋を開ける。  どじょう鍋を見て「俺もお昼に弁当持って来ていいか!!!!」となる。これ、授業中の話です。  まるで映画のシーンみたいですね!  今なら新聞沙汰でしょうきっと。
そうかと思えば新婚の担任の家で知った新品のステレオを見て、「先生、このステレオ貸してください・・・・」「どうするんだ!!?」「校内でステレオコンサートをやりたいんです・・・・!」
全校に宣伝し我が3年E組でいよいよステレオコンサート。  先生も当然喜んで参加。
コンサート始まって30分もすると、「おいおい、何時から始めるんだ!?」
先生はベートーヴェンやバッハの曲が流れてくると思ったんでしょいうね。 つまり我々は演歌をかけて楽しんでいたからです。
われわれのコンサートは当時流行の演歌オンリーでそれは楽しかった(笑)

その中心人物が彼だったかな(笑)
その彼にも当時ほのぼのとした恋物語がありました。 こうして綴っているとまるでタイムスリップしたように当時が鮮明に思い出されますね。  どこの地域もそうかも知れませんが、小・中までは町内の生徒が一緒。 高校になると裾野が大きく広がっていろんな中学の生徒も一緒になりますね。
私が小学校の頃から一緒のそれは可愛い人気者で当時はお人形さんのようにとっても可愛い女の子がいました。
小学校でも中学校でもダントツで人気者でしたね。
私は彼女とは町内で幼馴染。 高校も一緒でした。  しかし、親友(かれ)は高校で初めて会った訳です。
いつだったか私に「おい、彼女を紹介してくれ・・・・!!」と彼。 んんんんん!「高望みだ~・・・・」と心の中で叫ぶ私(笑)
それでも彼女にその話をすると意外や意外「いいよ!!」・・・・・だったんです。
奥手の私にはあまりよく分らなかったですね。  さて、最初どこで会うか・・・です。  私は当時体操部に所属していたので全く時間がなく、「どうしたら良いのかな・・・・」と無い知恵を絞っていました。
当時私の家の近くに「末広座」という映画館があってその頃「ゴジラ」の映画を上映していました。 田舎ですから数年前の作品でしょう。
何と二人は私の手配で映画デートに成功。 今考えると彼は実行力もありましたがおませさんでしたね。

その後、どうなったかというと二人がデートという話は一切なく、ほのぼのとした仲も消滅したようでした。
観に行った作品名が「最後の逆襲」・・・とかいうタイトル。  なるほど~・・・・と大笑い。懐かしいな~!!

豪雪地帯ですから、新婚旅行から帰ってきた女の先生(化学の)をクラス全員で祝福!? 「おめでとうございま~す」の掛け声とともに教室(2階)の窓から先生を放り投げ我々も一緒に飛び降りて「おめでと~う」
雪国ならではのいたずらも即校長室に呼ばれてお説教。   数え上げたらきりがないほどの思い出(いたずら)の数々。
まとめたらきっと素晴らしい本が書けます。  今の学生が聞いたら想像もつかない学生生活でした。


ふるさと


雪国という閉鎖された田舎の町で、語り尽くせないいろんな思い出。  そのやんちゃな男がやはり一番優しい心の持ち主でいてくれました。
温かい心根が心の奥底にあって今でも人を魅きつけている。 分かるような気がしますね。
だから、奥さんには本当によくしてもらったんでしょうね。  それもとってもよく分ります。 家庭が平和だから、家庭が温かいから、多くの人が集う。 今考えるとそれは人間として一番大切なものを持っている証じゃないだろうかとも思います。
おそらく、会社勤めをしていた時期(ころ)は経営者は一番大切で重宝がっていたと断言できますね。
私がどの会社に勤めてもやはりどんどん出世する。 どこか似たようなところがあったんでしょうね!!

人間、夢が無くなったら終わりです。
私の持論に「青春時代はとうの昔に終わりました」、しかし「青春」ならいつまでも出来る。 そう思っています。その通りだと思う。
今の若者に覇気の無い子がたくさんいます。  我々には考えられないことですね。
当時の3年E組は、夏休みに入ると全員(ほぼ)で三国の山に1泊の登山。  本当に映画の世界、青春真っ只中でした。
クラスマッチがあれば優勝。 男女とも本当にまとまりのあるクラスでした。 おそらく私の親友(とも)が知らず知らずのまとめ役だったんだと断言できるような気がします。
今考えると彼が級長だったと言ってもおかしくなかったですね。 とにかく周りを動かすんだから!!

最初の写真をもう一度見てください。 なんとも言えずみんないい顔してるじゃないですか!?
「おい! あのな‥‥」と言って今でもこうして送って(写真)くれます。

この年齢になって、仲間を招く彼の心根。 もっと言えば、それを理解されて快く招き入れてくれている奥様の功労だと言えますね。

私が彼の新婚時に「なんて素敵な奥さんを・・・・」「大事にしろよ・・・」は大当たりでしたね。

大袈裟に言えば、なんだかんだ言って男なるもの本来なんにも出来ないものなんです。 いかに素晴らしいパートナーと出会えるかですね。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を代表するように、あの3英傑でさえ奥方の影響なくして天下は奪れない。
それほどの参謀だったんでしょうね。  「大事にしろよ・・・」



塩沢


まさに私たちはこの風景の中で育ちました。  この写真は最近の写真ですから、我々が学生の頃は右の赤い旗の上の部分が道路だったと思ってください。


       言葉もいらない  仲間なら
     こころのふるさとで
     今、いま青春してる
     昔の歌でも唱おうか
     まぶたの奥に 夕日が見える
     ときにはひととき  少年に帰ろう



先の歌は舟木一夫の「仲間たち」、この歌は千昌夫の「乾杯しようぜ」

友の中に、癌と闘っている幼馴染みも笑顔で浅草に来てくれました。 彼は高校でなく、小学校からずっと一緒でよく喧嘩もしました。 しかし、病魔と闘う彼の生き方は見習うべきものでいっぱいでした。  今は理屈抜きで彼が大好きです。 高校卒業して以来なのに、すっかり気を許せる心情に素直な私が居ました。  そして、一番会いたいと思っていた奴にも会えました。


そうしてその場を提供してくれたのが親友のKAKUでした。  本当にいい奴です。私には財産ですね。

遠慮がいらないから友なんだろう。

集まればいつも目の前にビールや酒が並ぶ昨今。  しかし、この光景はいつまでも変わらないようだ。
豪雪地帯で、共に支えあって来た仲間たち。
私はあまり回顧しながら歩きたいと思わない人間ですが、彼と付き合うには大切なことかもしれない。

どうだい友よ! 今度集まるときはカラオケ館に集合しては。
どこにも行かず、歌で綴る人生も、歌えば分る仲間同士だと思うんだが・・・

そして、いつまでも幹事でいてあげてくださいな

温かな心があってこそ出来ることなのだから    な!

故郷は今日から「雪まつり」です。
そう思ったらついつい仲間を思い出していました。










  あおり運転

交通安全


なんでもそうだが、ルールを守ればこれほど安心で安全なことはない。
当たり前が当たり前でなくなったときに痛ましい事故が起きる。

ここに来て、まだ「あおり運転」での悲惨な事故のニュースが絶えないでいますね!!

私の父も交通ルールを守らないダンプカーのドライバーによって即死しました。 もう何年も前のことですが、父は当時52歳でした。
今の52歳だったらまだまだ働き盛り、人生最高に謳歌できる年齢です。
この事故で私は交通事故は他人事でないことをしっかり胸に刻むことが出来ました。

私も仕事の関係で「運行管理者資格」を国家試験でしたが取得し200名のドライバーの管理に就いていたことがありました。
従業員は全てトラックの運転手。 長距離の大型車をはじめそれは大変な業務でしたね。
深夜も運行はあるわけで、いつどんなトラブルが飛び込んで来るか分からない。
今で言えば、雪国で車が動かなくなった、大渋滞に巻き込まれた等々、日々予想もしないことに出会いながらその職に就いていました。
そこでしっかり気づいたことは、事故の90%はそのドライバーの心の持ち方だということです。 それでも一方的にぶつかって来るもらい事故や地震や災害に巻き込まれるケース等々本当に想像もつかない様々な出来事に遭遇します。

運行管理責任者ですから、こちらが加害者であれば即出動で私の役割は「お詫び行脚」です。事故処理等残された処理等も保険業者だけに任せるのではなく、誠意をもってその対応に当たる。
ところが、事故処理が終ればドライバーはケロッとしている・・・・!!! そんな毎日でした。

安心で安全な業務とは・・・といかついドライバー相手にどう諭すのかが私の仕事。
ここで学べたことが、当たり前なことですが、みな人間だということです。 人間である以上、各々の生活環境や悩み、健康や精神状態、ありとあらゆることが関係していることを学びます。  しかし、最後はやはり人間です。
運送業の経営者だけではないと思いますが、社員に対する接し方を知らない経営者の多いことにも気づきました。
中には、従業員を「使ってやってる」などと傲慢な経営者も。

200台ものトラックを有する会社でも、その実態はすごいものでした。
全てとは言いませんが、実に自分勝手でドライバーをまるで道具のように扱う上司も当時少なくなかったですね。
待遇面も合わせ、利益を追求するあまりにドライバーに無理を言う。

今回高速道路での「あおり運転」もそうした環境が無い訳ではないということも併せ持ってこれから無謀な「あおり運転」について綴ってみたいと思います。

ひとつ言えるのは、このあおる・・・という行為はただただ自分勝手で、なんの申し開きもできません。
車は全て個室です。 自分の世界に酔いしれてハンドルを握っている人が殆どだと思ってください。
特に相手より大きな車を運転しているという優位性。 相手より高価な車に乗っている場合も同じです。もうお分かりのように、これは道路上でのいじめの一種です。 それが証拠には、普段おとなしい人がハンドルを持った瞬間からなぜか気が大きくなってその瞬間瞬間に吐く暴言がそれです。
あのおとなしい人が運転中に「危ない・・・・」と思った瞬間「ばかやろう・・・・!」と言い放った瞬間に遭ったことありませんか!?
おとなしいはずのその人が「ばかやろう・・・・」と吐き捨てるのです。
それが自分勝手な人間なら押して知るべしですね。

個室でひとり言のように叫ぶばかやろうくらい可愛いものです。
これが、自分勝手な人間がハンドルを握っていたらどうでしょう!! 

もう16年も前の出来事ですが、私が実際に遭遇した「あおり運転」の事例をお話しましょう。
当時、足の悪い従業員がいてその人を出勤前に迎えに行ったときの出来事です。 首都高速は私が出勤とは反対方面に車を進めていたため、朝ということもあって車道はわりと空いてはいましたが、それでも2車線追い越しをかけれるほど空いてはいませんでした。  従って、私の乗用車も前の車に続いて車間を空け普通に走っています。
どうも様子がおかしいなと気づいたのは首都高に入って15分ほどした頃、バックミラーに映る一台の大型トラックでした。
つまり、「早く行け・・・・」と言わんばかりのあおり運転だったんです。  しかし、譲ろうにも丁度タイミングの良い場所がありません。
そんなこんなであおられて5分ほどしたら、丁度追い越せるタイミングに後ろのトラックは猛スピードで私の車を追い抜いて行きました。
ところが、追い抜いた途端私の前に入り込み、今度は私の走行を妨害し始めたのです。  大型がジグザグ運転するとそれは危険極まりないですね。
危ない・・・・と思うから少し間隔を空けようと私は減速します。 すると相手も減速をし私の車が近づくのを待ち、近づいた瞬間赤いランプが点きます。 つまりブレーキをかけたということです。  まさにこれが殺人行為です!!  それが2kmほど続いたでしょうか!? 相手が悪かったですね。 私はメモにトラックの看板(会社名)と車番をメモ。その時の場所、時間もメモ。これで終わりです。

その日のお昼休憩に相手の会社の電話番号を調べ、運行管理者ではなく社長に直接その一部始終を説明しました。私が怒り声を出す必要は一切要りません。
事故が起きなければ何をしてもいいことには勿論なりません。 看板を背負って走る車は会社の広告塔です。

1週間後、その会社(宇都宮)の常務が当時のドライバーを連れて謝罪にやってきました。
ドライバーはハンサムで結婚して2年目でお子さんが生まれたばかり・・・!!!  私は運行管理の資格証を見せ、「相手が悪かったね~」ではなく「私で良かったね~」と。
私が当時、事故に遭ったわけではないけれど、「もし仮に他で同じことをし事故でも起こしたら家庭崩壊ですよ」と。
彼がこの16年もの間、こうしたあおり運転をしなかったとしたら私が呼び出したことは彼の人生にとって大きな救いになったと信じています。 彼のお子さんはもう17歳か18歳になったんでしょうねきっと。 良い父親でいてくれたら嬉しいですね。

しかし、私が言いたいのは、あんな素晴らしい青年でもハンドルを握れば気が大きくなるということです。空元気の空威張りなら可愛いものです。
しかし、そこに自分勝手な人間が我が物顔に威嚇してくるどうしようもない輩が実際に居るという現実です。
テレビの報道の殆どが、あおり運転で死んでしまった事案ばかりです。
これからの人生に大きな夢があったでしょうに、そんな人に限って惨い殺人にも似た加害者で人生を終えてしまうなんて本当に許せませんね。

もう1回はまだ私が雪国にいる頃の事例です。
高速道路を80kmくらいで走行中のこと。 それでも当時雪国のその道路は多少路面が凍結状態。
それでも私は高速道路でも気象状況をみて少し速度を落としていました。 私は一貫してその速度です。ところが、後ろから追い越せるということはそれ以上に速度が出ているということです。
何台か通り過ぎて行きました。 すると、1台の白い乗用車が走行車線を走る私に「どけ~!!」という訳です。 走行車線しか走れない私はそのまま走行を続けます。 すると白い車が追い越しにかかり、私を追い抜きます。
そこまでは何も問題はありませんね。 ところが、彼は相当カチンときていたのか追い越すなり私の前に出て即ブレーキを踏んだのです。  「危ない!・・・」、しかし一般道路のようにブレーキは踏めません。つまり道路は多少のアイスバーンになっているからです。 でも人間瞬間に反応し軽くブレーキをポンピング状態で2~3回ほんの瞬間ですが踏みました。すると私の車はブレーキにロックがかかったように車両がゆっくりと80kmで横に流れるようにスリップを始めました。
この話は確か以前にもしたかと思いますが、私はその瞬間「死ぬ」・・・・と思いましたね。 父の次に俺か・・・・
あの高速道路の車道を横すべりしながら右のガードレールにど~ん!! 左にど~ん! 右に左に計3回ぶつかって車両は止まりました。 運の良い男でかすり傷ひとつ無しで収まりました。  車両基地まで向かいに来た事務員2人はその無残な車両を見て大泣きに泣いていたことを覚えています。 それほどの衝撃だったんですね! 車両は大破.しかし無傷で助かった私は本当に奇跡でした。

いろんなケースで「あおる」。 その瞬間瞬間に頭に血が上るんでしょうね!!
ほんの瞬間でも、その0.01秒でも運が悪ければ被害者は命を落とします。  事故がおきなかったから問題にならない「あおり」の現状は相当数あるはずです。
事故が起きないまでも、追い越すときに「にらみ」をきかし、つまり威嚇して通り過ぎる車は少なくありません。
事故が起きてからでは何を言ってもどうすることも出来ないのです。

自分の車で威嚇するのも、会社の車で威嚇するのもみな同類です。 
まして、スマホなどを利用しながらも多く見かけますが、解決方法はハッキリと「心の持ち方」と分っていてもそれを注意できる大人がいなくなってしまったんでしょうか!?

身勝手な感情で大切な命を落とすなど断じてあってはいけません。  挨拶ができなくなっている昨今。心と心を通い合わすことの出来る環境づくりも大切なことです。
確かに暴力と言われる指導は良くはありません。  愛情あるげんこつなんてことが昭和にはいっぱいありました。
それが通らなくなったということは、愛情が希薄になったということでしょう。

難しい時代に突入しましたが、このままにする訳にはいかないので罰則という法整備でしっかり明るい社会になるよう真剣に考えないといけませんね。
事故が起きてからの、事件が起きてからの法整備。  そんなの誰だってできます。
本気で考えるなら未然に防ぐ方法(明るい社会)をそれこそが法整備をしていかないといけないでしょうね。

事件や事故、タレントの浮気や離婚等々ばかりを追いかけるのではなく、世の中には良いことをしている人がたくさんいます。顔がほころぶようなニュースを第一に報じるのも報道に課せられた大きな役割じゃないでしょうか!?

最後に、これだけ報道されている昨今、また事件事故を起こす輩はこうしたニュースを見ていないのだろうか!?不思議で仕方ありません。
被害を受け、悲しみのどん底にいてどうやって春を迎えるんでしょう。
加害者は、まるで他人事のように季節が来れば桜の下で酒に酔いしれるんでしょうか!?

あおり運転でハンドルを持つ人間に運転免許証が与えられる現状が恨めしいですね。

新しい年号(じだい)が少しでも安心で安全な世の中になることを願わずにはおられません。

真剣の法整備を進めることが先決のような気がしますね。  素晴らしい春を迎えるために。







  良い時代が来る

今生天皇


平成最後の「天覧相撲」の一場面です。
今生天皇はこよなく大相撲(国技)を愛されたようです。  私も、子供の頃から相撲は大好きで、雪で作った土俵でよく相撲をとったものです。
正直言ってモンゴルの力士が増えることで日本の国技「大相撲」の行く末を案じていました。

しかし、これはモンゴル人が悪い訳ではなく、どこの国にも性格の悪い者はいるということでしょう。
実際、この初場所で優勝したモンゴル出身力士「玉鷲」にはご存知のように好感度1000点でした。

時代が変われば人もだんだん変わる!!  人が変わるのではなく、心が変わるんでしょう。
よく、「昔は良かった」・・・とか、「今の子は・・・」などと言いますが、どんな時代になっても素晴らしい人間はたくさんいます。
しかし、時代とともに、便利さだけが優先してしまいどんどん便利さに食いつぶされているのが悲しいかな現状でしょう。

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私も縁があってモンゴルには4~5回行って来ました。
話しに聞くより寒かったのを覚えています。

私は昔から、人を楽しませることが好きでその企画の殆どが「心を演出」するものでした。
先日もお話しましたが、心の歌(作品)を作った中山晋平生誕100年祭。 妖精の里を日本に創るという企画でイギリスへは4度ほど渡英しました。その都度専門家の先生が同行してくれるのでどれもこれもスペシャルイベントでしたね。

モンゴルへ行ったのは、モンゴルの恵まれない子供たちの施設に支援を申し入れ、また大学に行きたいけど学費がないのでという若者への支援で行ったものです。

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その時の窓口が「旭鷲山基金」だったのです。
お分かりのように、旭鷲山関は日本の大相撲界に初めて足を踏み入れた人物です。

今回の初場所で優勝した「玉鷲関」は、心から日本を愛し、相撲界を愛し、家族を愛する素晴らしい若者です。
優勝したその日(1月27日)に第2子の誕生というドラマチックな出来事も、神様がプレゼントしてくれたのでは・・・と思えるほどのタイミング(ドラマ)でしたね。

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今尚、恵まれない子供たちはいっぱいです。
モンゴルでは「マンホールチルドレン」と言って、マンホールの中で生活する親無し子が多いんです。 何故マンホール!?

地下に温水を通す直径3mほどの管が通っています。 その接続部分が地下室になっていてその地下はその温水でとても暖かく、あの極寒の地モンゴルでは最高の棲家なんですね。
当然、住んで良いはずがありません。 大型バスの音は分るらしく、その車(観光バス)が泊まると一斉にマンホールから子供たちが飛び出し物乞いが始まります。

貧困にあえぐそうした子供たち。 夢は関取・・・・、分かりますね。
ハングリー精神は今の相撲界でも分かるように強い力士を育てます。

大草原にいくつも点在するゲル(モンゴルの移動住宅)の住民が、なんとその殆どがスマホを持っている時代。
世界中が変わっても不思議はないですね!!


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いろんな国を訪問してみましたが、諸外国のみなさんが、「日本は素晴らしい」「日本は美しい」・・・・という訳が分かります。
しかし、その素晴らしい日本を継承するのはあなたたち若者です。 いやあなたたちであって欲しい。
恵まれすぎると大切なものを失う。
私がずっとずっと懸念しているのがその心です。 韓国や北朝鮮、ロシア等々、解決しなければならない事案だらけです。
最近のニュースどれをみても、「日本人を勘違い」していることが多すぎますね。
日本人の心は地球上の宝だと言った人がいます。

心のどこかに、感謝という心根がしっかりあれば「騒動」というのはおこりません。
自分が自分がの欲が全て人間関係を粗悪にしてしまっている。


平成の終わり


混沌としたそんな世の中(平成)の象徴であった今生天皇、そして皇后さま。

まさに象徴そのものでしたね。 私は、大正天皇も明治天皇も知りません。 しかし、国民をを愛すお二人は素晴らしい平成を支えてくださったように思います。
寄り添うということを学び、人を愛する術を学びました。  生活して行かなければならない現実に、夢のようなきれいごとを言ってはいられない・・・と言った人がいます。
それは違います。  食うために働くのか、働くために食うのかの議論になったら人としての意義は無くなります。
人を愛する心はなにものにも代えがたい宝です。  人は何のために生まれて来たのか!!
生まれた以上、みな平等であるはずが、どの国を訪れても貧富のさ差、心の持ち方の差は想像を超える激しさです。

現在、九州に向かって歩いている通称「ボランテイアおじさん」がいますね。 ご存知「尾畠春夫」さん。

特に2歳の坊やを発見してから大きくクローズアップされて来ましたが、人の喜びを自分の喜びとして生きれるその精神力は近年にない素晴らしいことで心から拍手を贈りたいですね。
現在、まだ神奈川県辺りなんでしょうか・・・・!?  いつになったら地元九州にたどり着くんでしょう。

ご覧のように、道中道中で励まされている人の多いこと。

ご本人の健康状態も心配ですが、周りに与える影響は政治家以上です。

良いことをいっぱい探し、良いことにいっぱ触れながら、良いことは決して失くさないように、良い時代が来ることを願っています。




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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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