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 美しい日本こそ令和

平成2

令和が待ちきれないように芽を出したふきのとう。
今年も故郷からたくさんのふきのとうが贈られて来ました。

それでも日本は戦争の無かった平成といいますが、昭和生まれでも私は戦争を知りません。 しかし、あの忌まわしい戦争は昭和にあったんですね。
平成とともにベルリンの壁が崩壊され平和へ歩みだした国もありました。

戦争は無くとも、事件や自然災害は異常なほど国民を苦しめた平成であったようにも思います。
考えてみたら30年なんて本当にあっという間に過ぎたということです。

戦争は良くありませんが、私の中の「昭和」はとても温かかった気がします。 良い時代に良い経験を積んだのも昭和でした。
自然豊かな雪国育ちでしたが、春夏秋冬をこれほど心に留め置くことが出来たのも自然いっぱいの環境下で生まれ育ったからでしょうね。
その自然に負けないのも人の心であったように思います。

中学の頃から写真を撮るのが好きで、押し入れに暗室まで作り現像したり等白黒でいっぱい楽しみました。
今では誰もがなんでもかんでもスマホでパチリ。
しかし、そこにはあまり心というものが映っていないように思いました。
今から15年ほど前でしょうか!? 皇居周辺をジョギングする陛下を携帯で撮影する光景がニュースで流れたことがありました。
陛下に携帯を向ける!!!!  私も古い人間になったんでしょうかね。
その辺を常識と捉えていましたが、そんなことを言ったら最近の光景はどう表現したら良いのでしょうね。

雪が解けて顔を出したふきのとうに感動する・・・・。
そこには多くのドラマが見え隠れしているようでその感動は言葉にならないほどでしたけどね。



平成3


まもなく平成が終る。  平成最後の桜だ・・・・!
そう思うと居ても立っても居られない気持ちでこの春は何度も何度も隅田川に行きました。
昨年の5月終盤からヘルニアで全く歩けなくなってあの暑い夏を苦しみました。 人一倍散歩が好きな男が歩けない(涙)
経験しないとわかりませんが、あの辛さと激痛は大きく自分を変えました。

カメラ担いでこの春隅田川に行ったとき、しがみつくように桜が一輪しっかり花開かせていました。
写真でも分かるようにその一輪の美しさは半端ではありません。

長い人生の中で、いろんなところでの桜を観てきました。  不思議な美しさですね。
私を招んでくれるさくらの花びらに語り掛けてはシャッターを切る。
自然の美しさに心奪われている瞬間はまるで童心にかえったように素直です。
この桜の木を見ると、いつ植えられたんだろうね・・・・・! この桜をどれだけの人たちが観てきたんだろうね・・・!
そう思うと感慨無量です。
どんなに時代が変わっても同じように春が来れば多くの人を楽しませてくれる。

このときだけは何故か人々はみな笑顔です。
この写真の花びらにお二人の陛下を重ね合わせることが出来ました。

全ての公式行事を終えていよいよ令和の登場。
子供の頃に正月を迎えるような興奮を今抱けているのは何故なんでしょうか!?
令和がどんな時代になるかはわかりませんが、「陛下ありがとう・・・・」と言ったあの気持ちを忘れずに1日1日を大切にしたいと思う自分がここに居ます。



平成4

あまりにも悲しいことが多すぎた平成という時代。
定職に就かず、不安定な生活を自らしょい込んでいる若者たち。
聞けば若者でも様々な詐欺被害に遭い苦しんでいる人がとんでもなく多いと聞きます。
せめて私の周りの若者だけにはそうした被害に遭わないようにと祈るのみですが、どうしても儲け話には乗ってしまうらしいですね。
簡単に儲けられる話など「絶対」と言って良いくらいありません。
でも、その被害に遭って苦しんでいるのですが、救いようがないほどの大金の返済に苦しみ悶えているんですね。
これが平成の時代という姿でもありました。

日本には、四季の美しさに負けない「心の美しさ」があります。
私のところにいろんな話(事業)が舞い込んで来ますが、基本商売で儲けようとしたら長続きしないことを悟ります。
つまり、金儲けに心が奪われ本当に大切な何かを失ってしまうということです。
何かがヒットすれば我も我もと真似をする。  多くの危険が含まれていることを当人は知りません。

私は昨年、一大決心をしました。
ヘルニアで歩けなくなり手術をしたときです。  手術は成功し痛みは消えたものの4ケ月近く歩かなかった(歩けなかった)後遺症は半端ではありませんでした。
そこで決心をしたのが、「運転免許証」の返納です。
まだこの年齢で・・・・と多くの仲間に驚かれました。 しかし、返納したことで、百に一ついや千にひとつ、私から事故を起こすことは無いということです。 

人それぞれ生き方があり、どれが正しいかはおそらく全て結果論でしょう。
心の持ち方で私は安心を得ました。  素敵な季節を収める(カメラ)のも電車だと本当に楽です。
穏やかな気持ちで被写体を観るとまた違った美しさに出会えます。

日本舞踊もそうですが、心で踊れるようになったらしめたものです。
大きく変化する時代についていけない・・・・などと心配することは何一つありません。
どんなに便利なものを手にしても、それを心で使えないとしたらなんの値打ちも無いと思って良いでしょう。

桜のシーズンに、会社の観桜会で新人に席取りを頼むのはパワハラだとかなんだかんだで上司が若い社員に気をつかっている等のニュースを本当に多く目にします。
確かに、会場の席取りを新人がやらなければいけない道理もすじもありません。 しかし、新人も「私がやります・・・」といった光景があってなんの問題もありません。
自主性や少しでも1日でも早く仕事に職場に慣れたいと思えばやることは山ほどあります。

相手を思いやる大切さは、なにも先輩や上司が新人にではありません。
それに気づけない若者(しんじん)は決して包容力のある先輩にはなれません。
楽しむことに上も下もありません。  誰彼問わず「感謝」の心や「思いやる優しさ」があればなんの問題もないのです。

どんなに時代が変わっても、春になればふきのとうが芽を出し桜が人々の心を開いてくれます。


平成5

「令和」と命名した経緯にもっとも日本らしい「万葉集」からとありました。
庭で梅に興ずる様はみなさんどう捉えているのでしょうか!?

自然の美しさはこうして写真にも収められます。

ペンで文字をなぞらなければ「漢字」も忘れてしまいます。

「おはようございます」を「オッハー」で良い訳がありません。
何か言えば若者が反発する・・・とか、「古いね~・・・・」とからしいけど大間違いです。

今はそれを流れとして(流行)なにか勘違いしたおしゃれ感覚でいるのでしょうが、このままだと令和が終るころは日本が失くなっているように思います。
知っての通り、日本の大切な建造物を中国人が買いあさっている現実を知っていますか!?
金の為に日本を売っているようなものです。
中国の人が悪いなどと言っていません。 しかし、日本人と中国人では心の持ち方が違うことをしっかり承知しておくべきです。

確かに、平成という時代は日本は戦争に巻き込まれることはありませんでした。
しかし、世の中「企業戦争」にみるように「心の戦争」に巻き込まれている若者のなんと多いこと。

日本がおかしくなってからでは遅いと思いませんか!?
少しずつ蝕まれていっていることを知らなすぎますね。


平成1

先日、平成最後の満月を観ました。
心にしっかり留め置いておこうと思いましたが、まるで感傷に浸るように平成最後平成最後に見方も変わっていたようです。

平成最後より、新しい令和(じだい)を語らないといけませんね。

いつも言うように、便利に流されないようにしないと間違いなく日本がダメになってしまいますよ。

丁度平成の中間くらいに日本舞踊教室の在り方を考えていました。
しっかり地に足を着け、日本舞踊にふさわしい教室にと今まで頑張って来ました。

まだまだやることだらけですが、これからの令和の時代こそ心乱さず日本人に最もふさわしい教室の運営にさらに力を注ぎたいと思っています。
これまでに出会ったこともない、日本人として誇りに思える素晴らしい日本舞踊の指導者「波島陽子」を支えながら後世に語れる教室の確立を目指したいと思っております。

幸せなことに、不思議なことに、みなさん若いのに素晴らしい若者に囲まれているこの現実。 それだけに日本舞踊を通してしっかり日本の伝統・文化を継承しつづける必要を強く感じています。
一人でも多くの若者が喜んでくれたら本望です。

平成よありがとう。 思い出は尽きませんが振り返っている暇はありません。
自然の美しさに負けない「日本人の心」を花咲かせ続けたいと思いながら令和を迎えたいと思っています。







  陛下、ありがとう

両陛下

   天皇皇后両陛下 ありがとう

まるでこだまするように多くの声が投げかけられましたね。

「陛下~  ありがと~う」  「美智子様~・・・ ありがとう」
ビルの見えない伊勢神宮周辺は穏やかな春の陽ざしにも祝福されていたようにも思います。

泣いている人も大勢いました。でも、「ありがと~う・・・・」が一番多かった気がします。

若い人は知らないでしょうが、皇太子が天皇となり89年の「即位礼正殿の儀」でのおことばも本当に印象は薄かったような気がします。 90年の「即位礼正殿の儀」では確か万歳が三唱されたと思いますが、周りは白けたムードだったようにも思います。

昭和天皇の崩御ということもあったのでしょうか。 それとも、「アジア侵略の記憶が強い国が万歳をするとは何事かととがめる声もあったんでしょうね。
陛下はそこから少しずつ信頼を積み上げ、今ではどこでもあたたかな歓迎を受けられています。

「即位してからの30年間はかっての軍の統師者として神格化されていた天皇としての匂いを消すため、一生懸命だったとおもいます」と朝日新聞のコラムにも載っていました。

目に焼き付いて離れない被災地での両陛下のお姿。  本当に感動しましたね。
ひざをついて話すお姿。 皇后さまはバスの中から頑張って・・・とこぶしを握り被災者のみなさんを励まされたお姿。
政治や経済の先行きが不透明な中、皇室は変わることなく国民と共に存在していたように思います。

何よりも初めて民間から皇室に入られ妃殿下となられた美智子様の存在がどれだけ大きかったか知れませんね。
まだ陛下になられる前に私は妃殿下を新宿の伊勢丹でその美しいお姿を拝見したことがありました。

考えて見たら本当に日本列島が大変な時代にご苦労されたんだなとつくづく思います。

優しいまなざしとは妃殿下のようなことをいうんでしょうね。

昭和に生まれ、平成を駆け抜けたお二人。 ゆっくりと令和を見守っていてください。

旗を振り、「陛下~」・・・・と叫ぶ国民。
まさかこんな素晴らしい光景を見ようとは思いませんでした。

月並みですが、本当にゆっくりなさってください。 素晴らしい30年間でした。
ギスギスした世の中に、日本らしい空気を諸外国にまでその多くを与えたように思います。

とっても残念ですが、考えの浅いつまらない大臣の多い中、国民をずっとずっと見守って下さったのは本当に両陛下のように思います。  寄り添うことの大切さ。 ただただありがとうございました。

まもなく訪れる「令和」がどうぞ平穏無事でありますように。

そして、いつまでもいつまでもお元気で。  

ありがとうございました。











 日本の素晴らしい接客

接客2

日本の素晴らしい文化に「接客」というのがあります。

多くの人が楽しい買物をしたり、旅をしたり。  例えば買物でなくても美容院に行ってもそこには必ず接客という場面に出くわしますね。  駅員に何か尋ねる。 観光案内所で、交番で・・・。  全てこれは「接客」です。


それでは本題の接客についてお話しましょう。

私は、松坂屋上野店に勤務していたことがありましたが、そこで知り合ったある店長の紹介で名古屋に行くことになりました。
その会社は名古屋名産の土産品を扱う昔で言うところの「宮内庁御用達」のお墨付きをもらって名店街に出店していた会社でした。
松坂屋でも販売というポジションにおりましたが、性格が明るかったせいか人と接するのが大好きだったんですね。

実はその前、松坂屋に勤務していたにも関わらず従弟の勧めで岡山県は倉敷市にある水島コンビナートでX線の技師を目指したことがありました!!  人体の撮影ではなく溶接部分をX線で撮影するつまり非破壊検査です。
国家試験に合格すれば高額な収入が得れるの触れ込みでした(笑)

しかし、しかしです。 人一倍機械(メカ)的なものに縁遠い性格は3ケ月持たなかったですね。
ところが、私の人生には神様がいました。 特殊な仕事は結構自分の時間があり、その間技師になるための勉強をするでなく、時間があればトレーニング(ジョギングや縄跳び等々)に励む毎日。 あるとき、バーベルを上げていたらひょんな拍子で左の鎖骨に落とし骨折してしまったんです。  普通なら「残念」ですが、大喜びで治療を理由に東京へ戻ってしまったのです(笑)
もう嫌で嫌で仕方なかったんですね!

それから松坂屋のテナントの店長の紹介で名古屋行き・・・・となるわけです。

仕事を嫌々してはいけない。 これは仕事に限りません。 何事も「好き」で「楽しく」でなければいけないことをここで学びました。名古屋では製造直売でしたのでその製品の製造工場がある訳です。 私は店に出ることを目的に入社しましたが、そこはやはり商品知識が必要の為上司に頼み込んで製造工場への勤務(修行)を頼みこみました。
非破壊とは違って店に出るという夢があるので本当に楽しかったですね。

私は1年以上の修行を覚悟していたのに8月8日の入社から5ケ月目の1月10日付けで一番業績の良い繁盛店(名古屋駅店)に配属されることになりました。
ここから私の人生が始まったと言って良いでしょう。

11人の販売員(全て女性)を統括しながら店を切り盛りするのが私の役割でした。
私もまだ23歳くらいでしたから平均年齢18歳~22歳くらいの販売員はまるで恋人対象のような人ばかり。
ここで覚えたのが女性って難しいな~からでしたね(笑)  しかし、持ち前の明るさはそこからどんどん業績を上げて行くことになります。
指導と言っても私自身がまだまだ修行の身。 それは大変だったことを覚えています。

さあ!どうやって業績を上げるかです。 大抜擢してくれた経営陣に応えたいからですね。
ここで掲げた目標が凄かった!!  
私たちは名古屋一の名産品を扱っているんだ。 名古屋駅店は新幹線等々、そして名鉄・近鉄が入り混じる好立地な店なんだからが、よし「日本一の販売員になろう・・・・」と、それをスローガンにしました。
とにかく日本一です。 日本一を目指すには・・・と考え続けました。  女子販売員にどう指導すれば日本一になれるんだろう!?そればかり考え続ける日々だったことが懐かしく思い出されます。
勿論「自分磨き」が第一でしたね。  その一環として必要なセミナーにはよく参加させて頂きました。
京都の妙心寺での真冬の座禅。 勿論有名な講師のセミナーを兼ねての管理職セミナーです。

東京に「日本話し方センター」というのがありました(勿論現在もあります)。  よく通いましたね。人前で話せるコツみたいなもの、とても勉強になりました。 私は今考えると恵まれていましたね。 話し方センターの創業者である江川ひろし先生に教えを乞う機会を得たのも幸運でした。
何度も何度も東京へ通いました。  よく会社が費用を出してくれたな・・・・と今思えば感謝でいっぱいです。
勿論、だれもが行けた訳ではありません。 当時、それだけ燃えていた証拠です。 報告は当然、常に試験試験レポートレポートの連続でしたが積極果敢に取り組みました。

受講と並行しながら日本一を目指し、時には東京の伊勢丹・三越・京王等々当時優良百貨店への見学で女子販売員をよく連れて行きました。 日本一の接客を学ぶためにです。 話しながら余りの懐かしさに当時が蘇ってきました。

女子販売員はまさか東京へ商店見学に行けるなんて・・・・そう思ったそうです。
正直きっと息抜きになったんだと思います。

そして、ひとつひとつ具体的に自分磨きの手法を紐解いていったのです。

ここで私は女子販売員にアンケートを採りました。 それは、私たちが買物に行ったときの感想でした。これは質問がとてもシンプルでしたね。
先ず、 ①自分が買物や食事に行ったとき、されて嫌だったその時の接客についてのエピソード。
②もう一つは、買物や食事に行ったときの応対で嬉しかったこと。  いくつでも書き出して欲しいと頼みました。
あるんですね、嬉しかったこと、嫌だったことが・・・・!

回答を頂けて私は本当に楽でした。 つまり、そこに全ての答えが出ているからです。
自分が嫌だったと言っているんです。 自分が嬉しかったと言っているんです。
私のまとめは本当に楽でした。
そうか、こんなことが嫌だったんだ!  こんなことでショックを受けたんだね。 もう二度と行かないと思う程嫌な思い出だったんだ!!?
そして、その反対は、良かったね。 そんな素晴らしい店員さんに応対してもらったんだね! 等々

一人が最低30くらいは出してくれた問題点、おかげで私の話すことは何もありませんでした。
つまり、私たちはそうした応対は絶対にやらないようにしよう・・・。
私たちはそうしたことよりもっと素晴らしい応対(接客)ができるんじゃない!? 自分の心で動き応対する。つまりそのことが相手(お客様)に伝わらないと意味がないんだよね。  まるで青春ドラマそのものでした。

その良し悪しの事例を徹底的に話し合いました。
それから店は驚くほど変わり、売り上げ向上にどれだけ貢献したか知れません。

仙台や広島、九州等々、名古屋は観光地でしたので全国からお客様がやって来ます。 つまり有名で美味しい商品を各家庭で広げたとき、「あの店のね・・・」とお土産話に我々販売員の素晴らしさが語られたようです。それはお礼状で分かったのです。



接客3

接客というのは簡単なようで難しく奥の深いものだということを彼女等自身も知りました。
半面、やってみると簡単で楽しいんだということに全員が気づいたということです。
自分たちが決めたことだから、容易に理解できた訳です。
しかし、お釈迦様じゃありません。  やはり若い従業員は時に喧嘩になり口を利かないなんてこともありました。
そんなとき私は(店長)は喧嘩の原因を作った者を即帰宅させました。 寮に居る者は寮に、自宅から通う者は自宅にです。
でも、ただ帰した訳じゃありません。 「**さん、今日はもういいから帰りなさい。 心の底から笑顔で居れるようになったらいつでも出勤しなさい。」・・・・となるのです。  でも帰りません! それはお給料をもらっているという意識があるからです。
そこで私は言います。「**さん、貴女のそんな怒ったような怖い顔(ふんいき)で店に居たらお客さまはお買い物しづらいし、近寄りません。つまり、貴女が店に居ることで会社に迷惑がかかります。 貴女が居なければお店の雰囲気が良く居ない方が貴女は会社に貢献しているんです。 だから、その雰囲気でお見せに居るのであれば欠勤扱いで居てもらいます。居なければお店に貢献できるのだから出勤扱いとしお給料を出しましょう・・・」
おそらく世界中探してもこんな手法を採った店長は後にも先にも私だけだったでしょう。

勿論、経営者にその意図を話し了解を得ていました。
私が在籍中、そうして出勤扱いになったのは2回くらいでしょうか。 当然その手法は従業員全員に話してあります。
日本人って素晴らしくて「儲かった、休めば給料もらえる・・・」などと休む者は一人もいません。
みんな元気に仕事をしたいんです。  日本人は素晴らしいですよ。
そしてまだ手が混んでいました。 それは、店に残った人への心の持ち方です。 中には喧嘩をした相手もいる訳です。
一旦帰宅した者が翌日出て来たとします。 中には半日くらいで帰って来たとします。 その人を迎える店に残っている社員の態度です。「***さんだって仕事したいんだ。こんな結果で今店を離れているけど、出勤して来たら何もなかったように笑顔で迎えるんですよ・・・」と。  これは全て正しい接客とは何かを考えた結果なのです。
この話に目を通しているみなさんは「信じられない・・・」と思うでしょう。 でも、11名は心から正しい接客を追求し日本一を目指していたのです。

この影響は凄かったです。 会社の支店(店舗)は名古屋市内だけで12店舗ほど、この従業員が住む女子寮は一つです。つまりこの情報は即座に女子寮で広まりました。

「制服には必ず名前を着けなさい・・・・」どこの店長も決まり事としてうるさかったようです。 年の近い私は、私が言わなくても「***が応対させて頂きます」と胸にはキチンと名札が輝いているんです。
包装紙にある店名と胸の名前でお礼状が届きましたね。  私の役割はそのお礼状(ハガキ等)を社長や専務に届けるだけです。

だから、昭和の時代には「日本人の心」があったようです。
泣いたり笑ったり、喧嘩をしたり・・・・と正直女性は面倒でした。
あれだけ女性に囲まれ、好きな人ガいなかったのかい? と聞かれそうですが私も男です。 心が揺れなかったと言ったら嘘になりますが、それを救ってくれたのが親父でした。
多くの若い女性に囲まれた、しかも店長という重職。 
親父の手紙は今でも忘れません。「・・・・、女性はみなお人形と思いなさい。 心を移すと周りは動かなくなるからね・・・・」と。

まるでドラマのような明るく輝いたお店は優良店とレッテルが貼られ、しかも商店街のモデル店になったのです。

考えてみれば、お客様のためにどうしたら喜んで頂けるか、そればかりを考えて行動していましたね。
この時期、この時代、そして当時の仲間たち。 良き時代の私の宝です。

どんなに時代が変わっても、人の心は大切なところで繋がっていることを決して忘れてはいけません。

まだ20歳代の頃から和倉温泉の加賀屋,稲取温泉の銀水荘、下呂温泉の水明館等々に通ったのも一流を学ぶ為でした。

一流だから出来るんではありません。
お客様の為にと心を砕いた従業員の心が一流に仕立て上げることを忘れてはいけません。
言葉づかいを丁寧にするのが一流でもありません。  もし、そこに威張った経営者が居たらそれは一流ではないのです。
経営者の皆さん、また素晴らしい接客をしたい・・・・と思われたら「自分の心の持ち方が一流かどうか」問い正してみてください。

気持ちがあれば笑顔になれます。  接客とは、喜んで頂くために行う行為の一方好意だということを忘れてはいけません。
そうした付加価値を与えられれば自ずと儲かることになっているんです。
儲かるという字は「人」「言う」「者」が集まってできています。  つまり「言う」とは心から発せられるものですから、つまり、「心」そのものです。あなたの心は人に囲まれているということです。

日本人の素晴らしさは「心で動ける」ところにあります。 同じありがとうにもきっと100通りくらいはあるのではないだろうか!?
つまり、接客とは人真似では心で接客していることにはならないんですね。

一流と言われたホテルやお店等々はきっと厳しい指導の中で築きあげられたんじゃないかと思います。 だから従業員から不満が出るんでしょう。
本人一人一人が納得し、自らが幸せな気持ちでお客様を大切にしたいと思ったらやりようはいくらでもあるということです。
いろんな経験のお陰で、学校や各企業のセミナー(講演会)に何回も講師として招かれましたが、実話ほど説得力のあることはなかったですね。

私のわがままな要望でのセミナーへの参加、従業員を帰宅させて出勤扱いを許可してくれたこと等々数えきれない要望を引き受けてくれた当時の社長や専務がいてこそでした。

一流の会社の凄さは「経営者の想い」そのものです。
私の生き方に対する基本はその名古屋時代に築かれたと言って過言ではありません。










 忖度発言の余波

進物

またしても「忖度(そんたく」発言で問題勃発

正直、話にもならない幼稚な行動(はつげん)が世間を騒がせている。  
何故このような問題が起きてしまうのか、「答えはひとつ」だと言う点を踏まえて少しお話したいと思います。

まず、塚田君が新潟だと聞いてついつい頭をよぎってしまった。 「越後屋、お主も悪よのう・・・・」

ここで言う塚田君とは塚田一郎国交副大臣(辞任)のことです。
内容はこうだ・・・
「安倍晋三首相と麻生太郎財務相の地元の道路計画をめぐる「忖度(そんたく)」発言で追い込まれていた塚田一郎国交副大臣は5日、発言の責任を取り辞任した。自身の判断としたが、事実上の更迭。政権のNGワードを得意げに連発する感覚に、全国で統一地方選を戦う自民陣営は激怒。今後の選挙への影響は必至で、盟友麻生氏に近い塚田氏をかばった首相は“火消し”優先に転換したが、判断の遅れで政権のイメージも悪化した。野党は塚田氏の議員辞職も求めている。」

この内容で全世界に報じられました。

まだ居るんだね~!!  こうして問題を起こす輩は政治家を筆頭に、会社で言えば社長であり上司。 近年に多かった体育会系の理事や指導者。 つまり、上に立つ立場の者に多いということです。
最近では日産のカルロスゴーン前会長の問題が未だ解決していませんが話の他です。

私が知っている会社の社長や幹部でも目を覆いたくなる勝手気ままで尚横領に近い行為をしていた経営者が居ました。
これら全て何が問題って「大きな勘違い」からそうなっていることが殆どだという事実。
勘違いとは・・・・、政治家は偉いと思っているんでしょうね!!  上司や社長は偉いんでしょうか!?
観ているとよく日産は倒産しないものだ・・・と思えるほどの金がゴーンの思うままに動いていたことになる。

ところで、塚田と言えば新潟では政治家の名門です。  私は彼を責めようとも思いません。しかし、国民はたまったものではないということを言いたい。
分かりやすい日本語で言えば、「思い上がっている」・・・ということだ。
政治家が偉い訳ではない。 本当に偉い人は自分のことを偉いなどとは思わない。 周りに先生とか社長と言われ勘違いが「思い上がり」に化してゆく。  
まるで、この出来事に今だとばかり攻め立てる野党の議員たちも、これも大きな間違いだと知るべきだ。  罪を憎んで人を憎まず。  いつも重箱の隅をつついてばかりいるから何も解決しない。 だからそれは堂々巡りなんだよ。

こういう発言(記事)は殆どしない私ですが、一度はそういう情けない輩に目を通してもらいたい・・・と執筆し始めました。
骨身にしみて目を通してもらいたい。

先日、次の年号が発表されました。 国民は明日への希望に心を躍らせその期待感でいっぱいの時期。 そんな状況下になんと情けない。
一度発言した事柄を「撤回」し「お詫び」すれば済む問題ではありません。  心のどこかに、「自分は偉いんだ・・・」という様な気持ちがあるからこういう出来事が起きるんです。
役職にしがみつきたいから「撤回」しますが、大きな問題にならないことで振り回されている個人や社員がどれほど居るかご存知だろうか!?
パワハラだセクハラだ・・・と間違った対応に走る会社の上司たち。

花見

今年は例年になく良い天候に恵まれてどこの花見会場も大盛況です。

ところが、会社等で催すこの観桜会の席取りを昨今は上司が行っている会社が多いようですね。 全く悲しくなってしまいますね。
花見の席取りなど新人が喜んで買って出れば良いんです。 いやいやするから問題になる。 それと、新人が席取りをしたら上司は心から感謝をすれば良いのです。
本来の花見を楽しむ姿など、遠い過去になる日がまもなくやって来ますね。
これは席取りが問題なのではなくて、すべからく上の者が感謝もなく命令口調で言うから問題になるのです。
楽しいことを準備するのに「命令」は要らないでしょう。
どうしたらこの楽しい会を企てるか、新人にやる気を持たせ褒めながらにこやかに参加すれば良いのです。
若者にも問題がありますよ!  過保護に甘えてるんじゃない。 自分から買ってでる勇気(きもち)が無いからパワハラだのと騒ぎ立てるんです。 上司も部下も新人も一体になれば良いだけのことです。 楽しいことをやるのに命令は不要です。 自分も楽しみたいのなら、上司も部下もないでしょう。

最初に「進物」の写真を載せましたが、日本の悪しきところばかりが目立ちますね。
私も某会社に在籍していたときにトップに頼まれてお中元やお歳暮用品を用意したことがありました。
私はこの進物の行事は良いと思います。  感謝の表れですからね。  でも、行事だから・・・と準備するところにそもそも間違いが起きてしまいます。  
「お世話になった人に・・・」という感謝の気持ちがあるからお中元やお歳暮の進物があるんですね。これは相手に請求するもではありません。
私の知人に当時第一線を走っていた「スーパーダイエー」というSCに商品を降ろしていたいた会社がありました。主婦の店があそこまで大型化したのには中内功さんの大変な苦労があったんですね。 それから何年かして平成に阪神大震災が起きました。そのとき、なんとダイエーの仕入れ担当から見舞金の請求が各取引先にあったそうです。この見舞金は1口1,000万円でこれを断ると取引停止になるというのです!!! もう吉良上野介と何も違いはありません。  ダイエーは阪神地区が困っているというのにほくほく顔だったとか!!   立場を利用したもっとも悪質なエピソードでした。

まもなく、平成が「令和」という時代に変わろうとしています。
この「令和」を総理が何と言いましたか!? 「人々が心を寄せ合う時代」・・・と言っていましたね。
私は日本舞踊教室を立ち上げる時の決意がそうでした。 日本の心ほど素晴らしいものはないことを日本人より観光に訪れる諸外国のみなさんの方がよっぽど知っていました。
日本は美しいと評されますが、それは心が美しいからです。 特に携わっている日本舞踊は日本の美しい心の表現そのものだということがしっかり表れています。

忖度問題で何が言いたいかに戻りましょう。
関ケ原の戦いから3年後、家康が征夷大将軍に任命されて「江戸」に幕府を樹立してから1868年に江戸城が明治政府軍に明け渡されまで265年。
それから明治・大正・昭和・平成が153年。  
ご存知のように、江戸時代のあの「松の廊下刃傷事件」 あれこそが吉良上野介の進物問題であったことはあまりにも有名な話。
政治家なら、経営者なら、この赤穂浪士の内容を知っているはずです。

それが、上に立った途端、「酒」「女」「金」等々大きな勘違いの始まりです。 その姿(父親)を見て育った息子(二代目)がどう正義に立ち向かうかです。

政治家が起こす事件の殆どが「偉くなったとする勘違い」のなにもでもないことは何度もお話しました。
会社の社長が、体育会系で起きた事件の殆どが「立場の勘違い」でした。

あなたたちは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」等々の意味が分かっているのだろうか!?

あのイチロー選手が、国民栄誉賞を今回で3回目の辞退でした。
日本には美しい「謙虚」という心、「感謝」という心があるじゃないですか!?

あまりにも世の中が変わりすぎて特に芸事の夢を実現するのが難しくなっています。
びっくりしたのは、一生懸命頑張って来たご老人(にんげん)、これから夢を実現させようと頑張っている若者たち。この人たちを騙して詐欺行為を繰り返す輩。先日「タイ」で15人の若者が振込詐欺の容疑で逮捕されました。 世の中は楽して儲かる仕事は無いんです。 ネットの発展が想像を超えた事件を起こす。つまり便利は人の心を蝕んでしまうということでしょう。

悪いことを数えるんではなく、良いことを探してみて下さい。 目からうろこの出来事はいっぱいあります。
歴史を紐解くと、その殆どは偉人と言われ今尚語り継がれています。
人の為に尽くす人は誰よりも感謝の気持ちで生きています。 それでいて謙虚です。 素晴らしい人間像は日本人が見本と言っても良かったはずです。
それが、感謝を失い自分が自分が・・・では真逆ですね。

正しいご進物は心です。  上に立つ者は人を育てる義務があります。 それこそが伝統です。
自分が目立とう・・・・が「忖度」発言になり、上に立つことでなんでも自分の思い通りになると勘違いする謙虚さの欠如。

昭和から平成の31年間、みなさんはテレビで新聞であの美智子妃殿下を見て来ませんでしたか!?
日本と言う素晴らしい伝統を守り抜いた最優秀選手です。 天皇陛下が「それでは努力賞を・・・」、それに対し美智子妃殿下は「感謝状を・・・」と言っていませんでしたか!?

上に立つ者よ、「令和」こそ人々が心を寄せ合う時代に・・・をスローガンに尽力してください。

素晴らしい世の中になる秘訣です。




















 令和への申し送り事項

104 ブログ

私がまだ小学校へ上がる前までは故郷の景色はまさにこんな感じでした。
懐かしいな~

汽車 汽車 ポッポ ポッポ
シュッポ シュッポ  シュッポッポ
僕らを乗せて  シュッポ シュッポ シュッポッポ
スピード スピード 窓の外
畑もとぶとぶ 家もとぶ
走れ 走れ 走れ
鉄橋だ 鉄橋だ  楽しいな  ♬


この童謡は今尚懐かしく歌えます。  情景はまさに歌詞そのものでした。

こんな環境で育ったことを思うと幸せだったんですね。

温かな人の心に沢山触れて、泣いたり笑ったりしながら暮らした少年時代。
川で遊び山で遊ぶ子供たちはみなたくましく野生児そのものでした。  その頃はまだ明治・大正の怖い近所のおじいさんやおばあさんがたくさん居てね。  考えてみたら怖いどころかみな優しい大人たちだった。
そこにあったのは優しい安心がいっぱいだったということです。

そして、洗濯機が登場しテレビが出現する。 その当時の大みそかはその殆どの家庭が家族全員揃って「紅白歌合戦」に興じていた時代です。そこに有ったのが丸いちゃぶ台に温かい家庭。それが昭和でした。
そうです、「汽車」と言ったんです。 この光景(写真)を見ても温かいと思いませんか!?
コンクリートの無い故郷は自然がいっぱいの人間が住む場所だったんですね。

先ほど新しい元号が発表になりました。 「令和」だそうですね。
私は昭和を存分に味わい、昭和の空気を吸い、心温かで人情味いっぱいな昭和の人と暮らして来ました。
雪国だった故郷はまるでおとぎ話のような環境。 美味しい空気・最高のコシヒカリ、自然豊かな水・そして豊富な山菜。まもなく芽を出すふきのとうに春を教えてもらった絵本に出てくるような生活だったことを覚えています。

平成の誕生の時は数多くのイベントが中止となりました。 それは天皇崩御という突然の出来事での平成の誕生だったからです。
平成は昭和と違い、なにかとっても忙しく歩いて来たように思います。
事件や事故・なんといってもあの地震という自然災害。 平成は中国の文献から「地平天成」という世の中が平和で平穏無事という意味のこもった元号であったはずでした。

急激に進化したネット社会。 便利な時代になったことは確かです。
今では便利どころかハンドルに手を触れなくても運転できる!!??  AIなるものが戦争にでも使われたら地球は全滅してしまいかねない。 恐ろしい時代でもあるのです。
昭和が平成に移行してからは間違いなく大きく何かがちがいました。いえ、変わりました。それは置き去りにされた日本人の心のような気がします。
「明治は遠くなりに・・・」どころか、昭和は遠くなりにけりです

私は、このブログを通じて「便利さ」が人間をダメにしていると訴え続けて来ました。
しかし、90%間違いではありません。
人の心などもう関係ない・・・・。 決して過言ではないですね。
勿論平成生まれでも思いやりがあり、人として優しい若者はいます。 嬉しいことに、日本舞踊を習いたいというような若者は平均してその優しい心根は持っていますね。

その平成生まれも今回のこの「令和」生まれにはもう古いと言われる時期が15年もすれば来る訳です。
平成が古い!!? なら昭和はどうなっちゃうんでしょうね(笑)
明治が大正に代わった時代。 そして大正が昭和に代わった時代。 この移行は今回のような懸念は不必要だったように思います。
違うとすれば、「戦争」という人類にとってとてつもない大きな出来事が「生きる」ことへの人間の力強さ、それもみなが助け合ってというところにあったのでしょう。

コンビニやスーパーが24時間営業。 女房は要らない旦那も要らない!!!  いや要らないのではなく「一人が楽」という感覚です。
そして故郷の衰退にブレーキをかけられない!!
日本舞踊で言えばそろそろ和傘を作る職人がいない。 カツラを結える職人も居なくなる!!  外国人目当ての簡易的で俄かでも上辺が整っていれば・・・の世界。 これは政治の問題でもあるはずです。しかし、その政治家に心から日本を愛せる人が居なくなってしまったという現実。

人の心に触れ、人の心で一喜一憂できる環境や人間関係。
美智子皇后が平成でも人の心を大切に歩いたではないですか!? やはり、そのお心は美しかった。
まだ明治生まれの人が1人や2人ご存命なのかも知れない。  しかし、今回この新しい令和で育った子供たちは明治や大正はまるで江戸時代の話を聞かされた私たちと同じになるんでしょうね。
であれば、素晴らしい日本の心が存在した「明治」「大正」「昭和」は日本人の美しい心(じだい)であったと伝え続けなければいけませんね。

同じ日本人として、この新しい「令和」という時代を我々が勇気をもって本気でその心を伝えないと日本が沈没してしまいますよ。

しめ縄で大きな汽車を作り、その汽車に乗って遊んだあなた。 決して他人事ではありません。
縄の中が電車だったその遊びもみんなで考えた智恵だったはずです。 
シュッポ シュッポ・・・と走る汽車  その汽笛の音は機関士の掛け声だったように思います。
桜(写真)も一緒に遊んでいるように見えませんか!?

世の中がどんなに便利になっても構いません。
人の心は便利ではいけないことだけを、昭和からこれからの「令和」を生きてゆく諸君への申し送り事項としたいですね。

成から令はそのまま「平和」と読むんだから






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