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 心の時代こそ新しい元号

豪雪

もう、ひと昔もふた昔も古い写真だ。

詳しく解説すると、両側の家はみな2階建てである。  屋根は、雪下ろしをした翌日とみられるが町の人はこうして道路を歩いていました。
写真を見ると傘をさしているので昭和40年代だと思う。  これが当時の現実です。
場所によっては電線をまたいで通るという今では考えられない光景が故郷豪雪地帯にはありました。

男はマント、女性はかくまき。 私は大正を知らないがそれでも田舎だったから住んでいた頃は大正の名残もあったんだろうと思う。
勿論、冬に車が動くということはない。 日本通運のソリが荷物を配達していた光景が思い出されますね。

この写真で言えば、翌日はまた屋根の雪下ろしが必要なほど雪が降ったのです。

今年、元号が平成から新しい元号に代わりますが、和暦で調べてみると覚えきれないほどの元号があったんですね。
ご存知のように、日本の元号は「大化」から始まり現在に至っています。

江戸時代でもっとも長かった「寛永」で21年。
その前の安土桃山時代でも「慶長20年」「天正20年」、その他は大体4年とか3年が多かったようですね。
私がハッキリ言える年号は「慶応」でこれが4年。 そして「明治」になって45年。  「大正」が15年。私の生まれた「昭和」は64年。 今生天皇の「平成」が30年と少しとなる訳です。

私が生まれた写真のような時代から今やAIが・・・と言われる時代です。
鉄腕アトムに出て来た昭和の漫画の背景が今現実になっていることに作者の想像力が偲ばれますね。
なにか、思えば叶う・・・・、そんな気がしてなりません。

今の若者に話すと笑われるかも知れませんが、月にウサギがいるのも、サンタクロースがやってくるのもみな本当だと思っていた子供の頃が懐かしいですね。
日本の昔話を母のひざ元で聞いた時代。 大正や明治の頃の子供たちはどんなだったんでしょうね。
考えてみれば、私は昭和でも戦争を知らない時代です。  同じ昭和にあの悲惨な戦争があった訳ですね!!
昭和でも、ガキ大将というのが居ましたが、国盗りをしていた頃(戦国時代)の名残りなんでしょうかね。
雪国には「雪合戦」というのっがあったからそうかもしれません。

時代がそうだったからかも知れませんが、小さいころからいろんな童謡を口ずさんでいました。だから、童謡という童謡は殆ど知っています。  「山のお寺の鐘が鳴る・・・・♬」・・・・と言えば本当にそうした光景があったんです。
焚火もしっています。  カラスの赤ちゃんは可愛いと思っていました。 しかし、今ではカラスは天敵ののように扱われています。

今では月でウサギが・・・どころか宇宙を制覇しようなどとたくらむ国も現れる時代。
それこそが天罰を受け地球を破滅に追い込むようで悲しいですね本当に。

便利をそこまで追求しなくて良い。  私などつくづくそう思います。
古い人間と思われようが、人の心を大切に出来る世の中であって欲しいとしがみつくようにそう思っています。

生まれて、生きて、生かされて・・・・。
飛騨高山に生まれた中村久子女史。 (1897年11月25日 - 1968年3月19日 明治~昭和期の興行芸人、作家。両手・両足の切断というハンデにも拘らず自立した生活を送った女性として知られる)
平成の初めころ、私はこのエピソードを知り高山に出かけたことがありました。 それが縁でテレビ番組「知ってるつもり」や私なりの「中村久子展」を企画したことがありました。  これみな「心」でしたね。

童謡の背景が理解できるって幸せなことですね。 焚火の状況、「カラスが鳴くから帰りましょう・・・・」と帰路に着く。

いつだったか、ずっと以前に私が本を読んだりものを書いたりが好きになった理由が「おふくろ」にあったという話を綴ったことがあったと思います。

どんなに時代が変わっても母の心は偉大です。
温かくて、時には厳しく、でもいくつになってもお母さんと心で呼ぶんだから母の愛は素晴らしいですね。
まもなく平成という時代に幕が降りますが、美智子皇后は素晴らしい日本の母でした。

穏やかで、優しく、思いやりにあふれた生活こそが求められる昨今。 良い時代の幕開けを心待ちにしています。





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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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