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 土俵の鬼 死す

戦後相撲界を支えた昭和の大横綱「初代若乃花」(本名:花田勝治)が癌で亡くなったそうだ。若い人には馴染みはないかも知れないが若貴兄弟には伯父に当たる人だ。
現役時代はライバルの横綱栃錦と栃若時代を築き、戦後まもない日本の復興の象徴となった。私でもこの土俵の鬼と呼ばれた話は知っている。
この人こそ壮絶な人生であったようだ。1928年の春、青森県弘前市の豪農に生れ10人兄弟の長男だった。豪農だった実家は大型台風で一気に奈落の底に転落したという。戦時中の43年に中学を卒業すると、北海道室蘭に移住した家族を支えるために港湾労働者として働いた。運命は太平洋戦争が終わった46年秋。地元で行われた大相撲の巡業で二所の関部屋関係者にスカウトされたことから始まる。18歳で入門したときから家族を支えることを目標とし人生は一変することになる。
体重75キロの小柄な体は猛稽古と約200キロを超える鉄鉱石をてんびん棒で担いで鍛えた足腰で克服。小さな体を感じさせない豪快な技で日本中を熱狂させた。土俵の鬼の異名を決定的にしたのが大関昇進後の56年9月場所。場所前に長男・勝雄くん(4)がちゃんこ鍋の中に尻餅をつき、大やけどで亡くなったのだ。
失意の中でも本場所への出場を決断。首から数珠を下げて土俵を務める姿が「土俵の鬼」と呼ばれた。この場所は初日から12連勝も13日目の朝に心労から体調を崩し入院し休場。日本中の涙を誘った場所は「土俵の鬼」として映画化されたそうです。
引退後は二子山親方として実弟の大関・貴ノ花、横綱二代目若乃花ら2横綱2大関を筆頭に19人の関取を育成。現在番付表は外国人力士で賑わっているが当時は二子山部屋(二所の関・花籠部屋)でいっぱいだった。
土俵に厳しく家族を気遣う優しい姿はあまりにも有名であった。
気骨のある人物がまた一人姿を消していった。素晴らしい昭和の時代がまた遠のいてしまった感じがしてならない。
土俵の鬼若乃花が教えてくれた日本の心。これも素晴らしい偉人伝として語り継がれることを願いたい。
魅力や人気はこうした本物の姿から湧き出てくるもので、現代のタレント等のように作られたものとは大きく違う。このように先輩が築き上げた素晴らしい日本の心。現在の貴乃花親方がその意を継ぎたいと改めて決意を語っていたが大いにエールを贈るとともに心から土俵の鬼のご冥福を祈りいたします。

 人名、会社名等(著名人は除く)は仮名ですが内容は全てノンフィクションです。
 【俊介の部屋】は平成21年6月4日にスタートしました。(毎日掲載しています)
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岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
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