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 小沢一郎 嘘の人生?

あえてこのよぷなタイトルを付けたのには大きな理由があります。
私は小沢氏が田中角栄の側近時代からよく知っています。私も旧新潟三区で、全国どこへ行っても「新潟三区」と言っただけで「ああ!田中先生の・・・・」と言われたものです。
大阪が特に凄かった記憶があります。 私は長岡ナンバーで全国を走り回っていましたから誰からもそう言われました。関西では、「長岡」って長岡京?・・・それとも伊豆長岡?と聞かれ新潟の「長岡」とはだれも気づきませんでした。
それでも、田中角栄の知名度から「長岡」は山本五十六に次いでといった具合でした。考えてみると親分肌で頼もしさは抜群でしたね。歴代の総理の中でも二度と出現しないであろう人物(政治家)ではないだろうか?全国の人がそう思ったほどです。
人間だから、全て正しいわけでないかも知れない。しかし、日本列島改造論に見るように彼の出現によって日本が大きく変わったことは事実でしょう。
田中角栄の魅力は、決して誰の真似でもなかったことです。あの時代、新聞紙に大金を包み同胞議員に金を配った話など耳にタコが出来るほど聞いていました。当時は豪傑として采配が揮えていたのでしょう。
しかし、国会の本会議場において、資料を見ずに各質問に対しその数字を的確に言い表した大臣(総理)は評価に値するものだと同郷びいきの中で酔っていました。
結局金権政治が仇となり命を落とすはめになる訳ですが、その後現れた政治家は全く違います。
「姑息」という言葉がピッタリな時代を間違えた手腕が正しいと思っている。
今回の裁判沙汰になっている内容は裁判官でも解決は非常に厳しいでしょう!
それは、小沢氏本人しか知らないからです。嘘か本当かは「小沢一郎」その人しか分からないのです。

あそこまでの大物議員だから何をやっても良いなどあり得ませんが、いそぎんちゃくのように、また神様のように挙げたて祀っている訳の分からない議員が「自分を持てず」力に頼る構図が貼り巡っていることだけは事実です。

私物化をしてはいけないと言いながら、「何故議員になりたいか?」と聞けば絵に描いた答えしか返ってこない。つまり、自分がないからですね!
今回の裁判沙汰で旧小沢派の元議員がこう話していました。「なんであんな嘘つきな人物に仕えていたのかと思うと自分が悲しくなってくるる」と。
つまり、良いことも悪いことも知っていながら崇拝していた時期を反省しているのです。

自らは「天下国家のため」と公言してはばかりません。ごたごたを起こしながら裏で糸を引いている時間の長さ。誰が総理をやっても同じなのではなく、現在民主党の野田総理が頑張っているのであれば何故本気で手を貸そうとしないのか?私は決して自民党を民主党をと偏って応援する者ではありません。
本当に世の中がよくなるということで本気で指揮を採るリーダーはみんなで応援しなければならないと思うのです。

話は全く違いますが、人(相手)の言葉ってどこまで信用できますか?裏腹の無い情熱は大きな行動力となって、決して人に迷わされず突き進む力があるものです。
毎日本を読んでいるとか、毎日トレーニングをしているとか、いつも神様に手を合わせているとか、口でなどどうにでも言えます。やっているかいないかは本人しか分かりません。
私が、よく「興味」を持とうとか、「好奇心」旺盛でいて欲しいと言うことがあります。そうした気持ちは何かを知る、何かを学べる大きなチャンスになるからです。
小沢一郎という人物の名を借りて話をしましたが、やったやらない、本当です、嘘ですは本人しか分からないのです。権力によってその悪事が押さえつけられていたとしたらそれは言語道断です。

自分の人生に嘘の気持ちなく世のために行動して欲しいと願いたい。潔さという言葉がありますが、間違っても、自身の心を嘘でなどまとってほしくない。
日本が疲弊している今にあって個人的な嘘で世の中が葬り去られようものなら国民は希望を持てなくなってしまうから。最後の最後まで「自分は潔白だ」とするのなら洗いざらし出しきったらどうだろう!
言葉を巧みに使いこなして反論する時期ではないのだから。潔白なら潔白で良い。本当のことを知っているのは本人なのだから!

見栄を張って生きよう(歩く)とすれば無理と出逢う! 純粋な心をもって心明るく歩きたいものだ!
世の中には、希望や夢を抱いて歩いている若者もたくさんいることを大人たちは責任もって応援しようではないか。
プロフィール

岡部俊雄

管理人 : 岡部俊雄
チーフ・プロデューサー
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